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2008年2月26日 (火)

いのちの作法

 「いい映画を作ったものだ」・・・観終わった後の自然な感想だ。2月23日、盛岡市で開催された映画上映会は、当初の一会場2回上映の計画から、急遽、午後の部でもう一会場増やして都合3回上映し、合計1700人が観賞したとのこと。それだけ多くの人が求めていた映画であり、その期待に見事にこたえるものだった。

 映画を観て涙したことは、たびたびある。しかし、今度の、記録映画「いのちの作法」~沢内「生命行政」を受け継ぐ人たち~は、これまでとは違った種類の感動を与えてくれた。
 冒頭の、深澤晟雄村長の墓石が映されたそのシーンから、私の涙が始まった。そして、深澤晟雄村長たちが作り上げ、今日に引き継がれている沢内村の「いのちの作法」が、いかに現代にあって大事なものなのか、西和賀町の人々の今の暮らしを通して描いている。美しい風景、穏やかな人々の表情、そしてすばらしい音楽がさらに涙を誘った。
ここに描かれているテーマは、まさに「いのちの作法」であり、それは、今世界中で格差と貧困の拡大という荒廃した社会を作り出している、弱肉強食の「新自由主義」の対極に位置するものだと感じさせられた。 (いのちの作法のホームページへ)

「村長ありき」、「燃える雪」そして「いのちの作法」

 映画のパンフレットには、「本作品は、日本映画学校を卒業したばかりの都鳥拓也、都鳥伸也兄弟が、及川和夫著の『村長ありき』(新潮文庫)に感銘を受けて企画しました」とある。「村長ありき」は、かつて劇団銅鑼が「燃える雪」という舞台にして全国公演を行い、盛岡でも上演された。あの舞台を思い出しつつ、この記録映画にも大いに期待していた。原作に沿いながら、深澤晟雄村長の生命行政そのものを描いた「燃える雪」に対して、今度の映画は、現在の西和賀町における人々の営みを描くことを通じて、深沢村長らが築き上げた「生命尊重」の理念がどう引き継がれているのかが表現されているのだ。
 児童養護施設の子どもたちと地域集落を挙げての交流、障害者のワークステーションに通う娘を訪問する90歳代の元大工の棟梁さん。特別養護老人ホーム「光寿園」での高齢者の暮らしと、それに寄り添う職員の姿。かつて、交通事故で急逝した光寿園の元施設長が入所者も町に出て普通の生活が出来るようにと考案した「雪見そり」。それを復活させ、しかも、雪不足の昨年町中上げて道路に雪を敷き詰めて「ゆきあかり」を入所者に見物させた、後継者と町中の人たちのあの思い。一つ一つにシーンに心を打たれた。

深澤晟雄、太田祖電、そして石川敬二郎先生のこと

 「昭和40年1月29日、岩手県和賀郡沢内村は降りしきる雪の中深い悲しみに沈んでいた」・・・・『村長ありき』冒頭には深澤村長の亡骸が、福島県立医大から沢内村に帰ってくるシーンからはじまっている。初めてこの本を読んだのは、まだ議員になる前だった。深澤村長の、全国に先駆けて老人医療費の無料化を村独自に行った際に語ったといわれる「国は後からついてくる」の言葉のなかに、いのちを守る行政の使命、地方自治とはなんぞやを教えられた思いが強い。

 映画には、深澤村長とともに歩み、そして今も健在である太田祖電元村長が登場するが、数年前、「いのちの火のつどい」で太田氏が語った言葉は今でも忘れらない。
 太田さんは「『余生』という言葉があるが、人間には『余った人生』などない。死ぬまで『本生』だ」という意味のことを語った。生まれてから死ぬまで、人間としてその尊厳を大事にするとことと理解し心を打たれた記憶がある。老人クラブでの挨拶など、様々なところでその言葉を引用させていただいた。

 また、描かれた児童擁護施設と地域の交流の中で、故石川敬二郎先生(小児科医、みどり学園園長などを歴任)のことが登場した。石川先生のお話を直接お聞きしたのは一度だけだが、その思いもよみがえった。
 1993年2月、盛岡で開催された「不登校を考える父母総会」で記念講演された石川先生は「不登校の子どもたちは、ちょうど冬の荒海にサッパ舟で漕ぎ出し遭難しかかっているようなもの」「三陸の海で遭難者が出れば、岸にかがり火をたき、女たちは冷え切った遭難者をもろ肌で暖めた。『なぜ?』というより、まず暖めることだ」「休息をとり、壊れた舟を修理すれば、また自分で漕ぎ出すものだ」と語られた。
子どもはもちろん、大人でさえいまの荒廃した社会の中で荒波にもまれている。無料生活相談においでになる市民の皆さんのお話を聞くとき、この石川先生の言葉は大きな支えとなっている。

厚生労働省が、西和賀町を無視したいわけ

 この映画を観ながら、それやこれやのことが頭をめぐった。そして、言葉や理論ではなく、ごく自然に、人々の暮らしの営みの中で新しい世代に引き継がれてきた「いのちの作法」。映画のタイトルの意味を理解できたように思った。
「過疎の村にも力強く行きぬく活力がある。地方切捨ての政治でこの活力を捨ててもいいのか」・・・・・父親の遺志をついで、光寿園の運営を引き継いだ太田宣承さん(太田祖電氏の孫)が映画の最後に語った言葉はとても印象的だった。
人間の尊厳を大事にしてきた「生命行政」。それを受け継いできたぐ西和賀の「いのちの作法」。ここには、弱肉強食の新自由主義に対するアンチテーゼがある。
後期高齢者医療制度などという、75歳をもって医療に差別を持ち込もうとしている厚生労働省が、老人医療費無料化を最初に行った自治体としての西和賀町(旧沢内村)を無視したいわけがここにある。

 二人の若い映画人に心から拍手を送りたい。ウクレレの音楽もすばらしかった。ぜひ多くの人に見ていただきたいものだと思った。

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