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2008年3月20日 (木)

母べえを観てきました

チケットを手にしてから約2ヶ月。盛岡でロードショーが始まってから1ヵ月半。ようやく “母べえ”を観ることができた。
 新聞で、“最終上映17時半から、上映館 ルミエール2”を確認して、映画館通りに向かった。なにせここで観る映画はしばらくぶり。 余裕を持って向かったはずが、なかなか探せず、ようやくたどり着いたのは上映開始直前で、「すべりこみセーフ」。

 淡々とすぎた2時間12分だったように思う。母べえの一家は治安維持法によってその家庭の幸せを奪われた被害者だ。治安維持法といえば、小林多喜二を思い出す。75年前に逮捕され、その日のうちに拷問虐殺された。その姿を書いた手塚秀孝の本に、若いとき触れて衝撃を受けた。また山本圭が主演した「映画 小林多喜二」も観た。それに描かれていた拷問のシーンは“母べえ”にはない。泣き虫の私を号泣させるようなシーンもなかった。それでいて理不尽なあの時代のおそろしさ、怒りが深くジンジンとわいてくるのだ。
 
 
隣組の集まりで、どちらに向かって遥拝をするか(宮城に向かうか、それとも滞在中の御用邸の方角か)で真剣に議論しあうこっけいな姿、獄中の父べえに差し入れする本を借りにいった先で信頼する恩師の、「悪法といえども法は法。それを犯せば犯罪者」という驚くべき言葉。娘婿のおかげで“針の筵にさらされ、娘に離婚を迫る”元警察署長の母べえの父親。

 父べえとの生活を否定され、目前のすき焼きに手もつけずに子どもたちの手を引いて父と決別する母べえ。献身的に家族を支える山ちゃん、倒れた母べえが、医療費の心配をすると「だんなさんのことは聞いています。私からのお見舞いです」と答えた往診の医者さん。母べえとそれにつながる人々の凛とした強さと美しさが描かれている。人間の「本当の強さ」とはなにかというようなものを教えてもらったように思う。

 
この映画は、戦争が奪ったものは何かを、静かに語りかけている。人間の当たり前の暮らし・幸せを奪うあの時代に決してもどってはならないという強いメッセージを受け取ったように思う。

 
この映画で改めて感じさせられたことは、映画は「シアター」で観るべきものだな、ということだ。最初から流れた、済んだ音色のピアノ曲。母べえへの愛を詠った父べえの詩の朗読のラストシーン。そこにつながる、ピアノからオーケストラへ、そして佐藤しのぶのソプラノが重なるクライマックスが心を揺さぶった。

この映画の音楽は、富田勲が担当している。富田勲の音楽では、山田監督の「学校」を劇場で観たあとサウンドトラックのCDを買い求めた記憶がある。今回も、と思ったが残念ながら劇場にはなく、帰りに立ち寄ったCDショップにもなかった。検索したら、富田勲は、山田監督の藤澤周平の「武士の一分」などの3部作の音楽も担当しているとあった。3部作は観た記憶があるが、その音楽にはまったく印象がない。それは、劇場ではなく、テレビで観たためではないか。
 映画は「総合的な芸術」と言われる。ストーリー(脚本)があり、役者の演技があり、それを撮るカメラがあり、音楽があり、美術がある。それを丸ごと楽しむには、やはり、それなりの仕掛けが必要なのだ。少なくとも我が家のテレビでは、それは無理だということ。だから、観たはずの映画の音楽に印象が残っていないのではないか。今回そのことを再発見した。

 
盛岡は、「映画のまち」を売りにしている。その価値を大いに大切にしなければならないと強く思った。

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