1月27日昼ころ、妻から電話が入った。「お兄さんから電話で、お母さんが亡くなったそうです」と。午前11時43分、母庄子ていが逝った。93年の人生だった。死因となる病気はなかったのだから、いわゆる老衰ということになる。覚悟はあったが、「昨日退院したばかりではないか」「少し早かったな」・・・・いろいろな思いが交叉した。
年明けまで普通だった母は正月に訪れた孫やひ孫たちと楽しく過ごしたあと体調を崩し、自分で食事が取れなくなり寝込んだ。その後14日に入院した時には主治医に「いい薬を使って元気にさせて下さい」とお願いしたそうだから、回復したいと願っていたのは確かだ。市議会議長(宮城県登米市)をしている兄(喜一)の改選期を4月に控え、「足手まといになってはいられない」という思いがあったようだ。
「早く会いに来た方がいい」と、近くにいる長姉からの電話もあり、19日に見舞った。病室のベッドにいた母は、呼吸が苦しそうで意識も混濁しているように見えた。これまでとは違った母の様子に戸惑った。間もなく、母は私に「今度はお別れだね」と言った。私はしばらくの間、黙って母の手を握ることしかできず、「覚悟が必要か」との思いが頭をよぎった。
ところが、夕ごはんが近づき、母の「食べたい」という求めで私が買ってきた、「かつおの刺身」を三切れ食べ、出されたお粥も自分でスプーンを持って全部平らげて見せてくれた。その姿を見て、先ほどの「覚悟」という思いが吹き飛んだようにも思えたが、帰途の車の中では、「あと何回会えるかな」との思いが駆け巡った。
その後母は一所懸命、出された食事をとり少し元気を取り戻したように見えたという。本人の強い希望もあり退院したのが、26日だった。
自宅に戻り、一晩過ごした翌日、その時は突然訪れた。朝、家族と一緒に食事をとり、話を交わし、兄を見送った。その後ケアマネージャーの訪問を受け、今後の介護について相談をしていたさなかに意識を失った。救急車で病院に運ばれたが、意識が回復することなく、そのまま息を引き取った。外出先から急きょ病院に向かった兄も、間に合わなかった。まるで、ろうそくが燃え尽きて静かに炎が消えるような最期だったと思う。
93歳、天寿を全うしたということだろう。自分も、もうすぐ還暦を迎える年になったとはいえ、やはり母を失った寂しさは大きい。
86歳でがんの手術~「後期高齢者医療制度」の間違いを身をもって証明
母のことでは様々な思いがあるが、86歳で胃がんの手術をしたことは忘れられない。
2002年11月、兄から電話で「母さんが今度胃がんで手術することになった」と連絡があった。「検診で発見し、主治医との相談で自分で手術を選択し、入院・手術の日程までほぼ決めてきた」というではないか。その時私は兄に、「高齢だから手術は慎重に考えた方がいいのではないか」と話した。少し前、知人が75歳の時胃がんで手術を受け、早期癌で手術は成功したが術後の体力の回復が思わしくなく、1年もたたずに亡くなったことがあり、そのことが頭をよぎったからだ。
兄から「本人が決めてきたことを『高齢だからやめろ』というのか」と反論を受け、前言を恥じた。
手術は成功したが、回復までにはやはり時間がかかった。その年の12月31日、外泊が許されずたった1人で年を越す母がさびしかろうと、一晩病室で付き添いをした。二人きりで、昔話をしながら、お酒もない、紅白歌合戦もない年越しが懐かしく思い出される。
普通の3~4倍とも思えるようなゆっくりした時間がかかったが、やがて食事もとれるようになり普通の生活に戻ることができた。癌の場合「5年生存率」が話題になるが、それから6年以上生き、晩年はデイサービスでの楽しい時間を過ごすことが喜びだったようだ。昨年9月の敬老会でカラオケのマイクを握り、得意の喉を披露している写真が実に若々しい。
86歳で検診を受けてがんを発見し、それを克服して人生を全うした母の姿勢~病気に限らず、常に前向きに取り組む姿勢は子供ながら尊敬に値すると思っている。
私は、この母のことを思うにつけ、年齢で差別し「やがて死んでゆく」とほどほどの医療で良しという考え方からつくられた後期高齢者医療制度の間違いを身をもって証明しているように思える。
最初に兄と交わした「高齢だから手術は慎重に考えた方が・・」との言葉が恥ずかしい。高齢者の医療を年齢で差別する制度は絶対に許すことができない。