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2009年2月

2009年2月28日 (土)

盛岡市議会3月定例会~3月5日に一般質問します

盛岡市議会の093月定例会が224日から始まりました。(会期は3月26日まで)
   初日に行われた市長と教育委員長のあいさつに対する各会派の代表質問が32日から始まり、引き続いて一般質問が行われれます。日本共産党盛岡市議会議員団の質問予定は次のとおりです。

●代表質問  鈴木礼子議員  月3日(火)午前10
●一般質問  高橋和夫議員  3月5日(木)午前10
          庄子春治議員  3月5日(木)午後1
          鈴木 努議員   3月5日(木)午後3時頃
          神部伸也議員   3月5日(金)午前11時頃

2009年2月26日 (木)

盛岡市が75歳以上の方へ人間ドック補助

 盛岡市は、平成21年度から、75才以上の方を対象にした「人間ドック」補助を実施することにしました。庄子議員に保健福祉部長から報告がありました。
 担当課によれば、「補助内容は、国保の人間ドック補助制度を準用することで詳細を詰めている」とのことです。

後期高齢者医療制度で排除~共産党市議団は「復活」を求める

 昨年4月から始まった「後期高齢者医療制度」によって、75歳以上の方が、国保から強制的に移り、国保の人間ドックが受けられなくなりました。日本共産党市議団は、「年齢で検診に差別してはならない。市単独でも実施を」と要求。市も検討を約束していました。

2009年2月25日 (水)

自治体政策セミナー⑤ 特別講演~コウノトリを育む農法の意義と将来展望

  Dsc06122 セミナー第3日目は、特別講演が行われ、兵庫県豊岡農業改良普及センターの西村いつきさんが「コウノトリ育む農法の意義と将来展望」について講演しました。
 西村さんは、13年前にこのセンターに配属され、コウノトリを野生に返すプロジェクトの中、その前提となる、農薬を使わない農業の普及活動に取り組んできた苦労とその成果を、自らの体験を踏まえ、時には笑いを、時には涙を誘う素晴らしい講演をしました。
詳しくはこちらを(ワード文書) 

自治体セミナー ④ 専科で「公共事業改革と地域経済」を学ぶ

 Dsc06115 自治体政策セミナー2日目は、専科「公共事業改革と地域経済」に参加しました。専科では、建設政策研究所関西支部事務局長の蚊口哲也さんが基調講義を行い、奈良自治体研究所事務局長の小井修一さんが「入札改革をはじめとした改革課題」と題して特別講義をしたあと、4人から報告が行われ討論しました。

 基調講義では、建設産業のおかれている厳しい実態と日本の公共事業の特徴、公共事業改革の方向と地域経済の活性化について問題提起がされました。特に、日本の公共投資が世界一にもかかわらず、産業基盤整備にかたより、生活基盤が遅れ、巨大な費用の割に経済効果に乏しい、という特徴や、建設労働が6K(きつい、危険、汚い、給料安い、休日少ない、格好悪い)といわれる実態にあることなどについて、今後の改革の方向を示しました。
 また、特別講義では、「請負業」など、建設産業の成り立ちを振り返りながら、今日の建設業の業態について明らかにした後、入札制度の改革や労働条件の改善をはじめとした「建設産業の民主化」について話しました。
 その後、世田谷区職労の委員長による「世田谷区における公契約推進の取り組み」、尼崎市議会議員による「尼崎市の公契約条例を目指す運動」、神奈川県建設労働組合連合会から「建設業再生を目指す神奈川での取り組み」、建設政策研究所関西支部事務局から「不払いと建設業のしくみ、働くルールづくり」と題して報告があり、それぞれ非常に参考になるお話でした。詳しくはこちらから(ワード文書)

自治体セミナー ③ 「道州制で日本の未来はひらけるか」~岡田知弘さん、角田英昭さんが講演

 二宮さんの講演に続き、初日(2月13日)の後半は「道州制と地方分権改革」について、2人の講師が講演しました。
京都大学大学院経済学研究所教授の岡田知弘さんは「道州制で日本の未来は開けるか」と題して講演。

 神奈川自治体問題研究所の角田英昭さんは「今日の地方分権改革をめぐる動向とその論点、課題」と題して講演しました。
「詳細はこちら(ワード文書) 

2009年2月24日 (火)

自治体セミナー ② 「新自由主義的構造改革の破局と自治体における決着」~二宮厚美さんが講演

 自治体政策セミナーでは初日(2月13日)記念講演が行われ、神戸大学発達科学部の二宮厚美教授が講演しました。

なぜ「破綻」ではなく、「破局」としたか
 
 
二宮氏は、最初に講演のテーマで「新自由主義的構造改革の『破局』・・」とした意味について、「なぜ『破綻』ではなく『破局』としたか」と切り出し、「100年に一度」の経済危機=「大恐慌」の時代に入りつつある。新しい時代に引きずり込む「直下型の大地震」が来たようなもの。その要因となった「新自由主義的構造改革」に対しては、単なる修正や手直しですむものではなく、国民的な決着がつけられなければならない、その解決は、新自由主義構造改革との決別にあり、過剰な投機資金・内部留保を吸い上げて、「新福祉国家」をめざすことにあるとのべました。
詳しくはこちらから(ワード文書) 

2009年2月23日 (月)

介護保険料 636円(基準額)引き上げ~所得段階は実質9段階に

盛岡市は、216日に開催した市議会全員協議会に第4期介護保険事業計画の成案を示しました。
 介護保険料については4月から636円(基準額)の引き上げとなる、4312円とし、所得区分による段階区分を、現在の6段階から、実質9段階にすることとしています。(下表~クリックして大きくして見てください)Kaigohokenryohikaku

3憶5千万円の基金取り崩し~2億4千万円はのこす

 市は保険料の算定に当たって、基金の取り崩しによって引き上げ幅を抑制することとしましたが、現在の基金額約5億9千万円のうち3億5千万円にとどめ、約2億4千万円を残す計画としました。


 これについて保健福祉部長は、「第4期では、介護報酬引き上げ分の半分について国の負担があったが、第5期では見込めず、それに備えることなどのため残した」と説明しました。
 当初より値上げ幅が縮まったとはいえ、大きな負担増になる計画です。3月市議会で審議されます。

2009年2月22日 (日)

盛岡紫波地区環境施設組合川村管理者(矢巾町長)に、廃プラスチック処理施設建設に関する申し入れ

216日、日本共産党矢巾町議団(川村よし子、小川文子町議)、同紫波町議団(村上充、細川恵一町議)とともに、盛岡紫波地区環境施設組合の川村管理者(矢巾町長)に対して、「廃プラスチック中間処理施設整備に関する申し入れ」を行いました。
 申し入れは、組合が計画している、「その他紙製容器包装」「その他プラスチック容器包装」の処理施設建設に関して、住民から、①旧焼却施設の解体に伴うダイオキシン対策への不安 ②もともと紫波郡および盛岡市都南地区を事業区域としている組合が盛岡市域全体から収集することとなることに対する疑問、③これ以上ごみ関連施設を矢巾町内に集中しないでほしいという声が出されたことを踏まえ「住民への説明会は、受け入れ自治体である矢巾町全域及び、施設建設予定地と北上川をはさんで隣接している、盛岡市乙部地区、紫波町長岡地区なども対象に加えて実施し、住民の意見を聞き理解を得ること」を求めました。

 また、この施設が行う予定の廃プラスチックの圧縮作業が、有害な化学物質を発生させて健康被害を生む要因になっていると指摘されていることを踏まえ「旧焼却施設解体に伴うダイオキシン対策、施設稼働に伴う騒音、振動、悪臭対策、搬入車両の増加に伴う交通対策に加え、廃プラスチックの圧縮処理に伴って発生する化学物質などの影響についても検証し、十分な対策を示すこと」を求めました。

 
申し入れは、矢巾町議団の2人の議員と、庄子が参加。菅原公夫清掃事業所長が応対しました。

申し入れ文書はこちら(ワード文書)

2月13~15日、自治体政策セミナーで学ぶ

2月13日から15日まで、姫路市で開催された「自治体政策セミナー」(自治体問題研究所主催)Dsc06113 に、日本共産党盛岡市議団の5人で参加しました。

 セミナーでは、初日に、新自由主義構造改革の破綻がもたらした今日の深刻な経済危機の下で、自治体政策の課題は何か、3人の講師による基本講演がありました。
 2日目は、「財政」「公共事業」「保育」「自治体病院」「指定管理者・PFI」の5つの専科(分科会)が開催され、5人の市議団が分担して参加しました。 庄子は、「公共事業と地域経済」の分科会に参加しました。
 3日目の「コウノトリ育む農法の意義と将来展望」についても特別講演があり、とても充実した研修となりました。(内容は 続報にします)

写真右は、初日に記念講演する、二宮厚美 神戸大学発達科学部教授

2009年2月14日 (土)

杉並区で、不燃ごみの杉並中継所を視察~環境施設組合との関連を学ぶ

25日午後、不燃ごみの中継施設である「杉並中継所」を視察しました。杉並中継所は、杉並区井草4丁目の住宅地の中に建設され、1996年(平成8年)4月、東京清掃局の施設として稼働を開始し、2000年(平成12年)に杉並区に移管した施設です。
 杉並区内のほか、練馬区、中野区の一部の家庭や事業所から出る不燃ごみを小型収集車で集め、圧縮して大型コンテナに詰め替えて中間処理施設に輸送するための施設です。2分の1に圧縮して小型車約8台分を1台の大型コンテナに詰め替えることができ、収集効率をあげ中間処理施設までの交通量を減らすことができるという施設です。

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2009年2月12日 (木)

「介護認定者は障害者控除の対象」へ問い合わせとお礼。部長からも回答書

 介護認定者は「障害者控除が受けられます」の記事を、後援会ニュース「まめだすか」と「こんにちは庄子春治です」に掲せたところ、「市の広報にも載っていましたが、庄子さんの記事の方がわかりやすく、さっそく市に問い合わせました」「今年も節税ができました。妻がお世話になっている介護施設に庄子さんのニュースをコピーしておいて来た」などという声が寄せられました。

 このことで、1月29日に扇田保健福祉部長に行った申し入れに対して、2月9日、文書で回答がありました。

 回答書はこちら(PDF) 

「廃プラスチック処理施設」を凍結し、「ごみゼロ市民会議」を立ち上げた町田市

 最初に訪問した町田市では、町田市環境資源部ごみ減量推進課主幹(ごみゼロ研究所担当)の市村繁幸さんから説明を受けました。

2005年からごみの有料化・・・ごみは減らず「プラスチックの分別」を

 町田市では2005年からごみの有料化が始まりました。(指定袋制で一枚5リットルで10円、40リットルで80円)
 一定程度の減量はあったが、それ以上の減量が見込めないこともあり、「廃プラスチックの分別・資源化を20064月から実施する計画でした。現在の清掃工場の敷地内に民間が設置する計画でしたが、住民からの猛烈な反対運動が起き、断念しました。住民の反対の理由は、一つの場所に集中するのではなく施設は分散するべきだ、プラスチックの処理をするなら全域のものではなく、地域ごとに行うべきだ・・などということでした。

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2009年2月11日 (水)

町田市、杉並区を視察~ごみ減量、資源化対策について

 2月5日、東京都町田市と杉並区を視察しました。目的はごみ減量・資源化と廃プラスチック処理施設に伴う健康被害対策についてでした。Dsc06048 (写真は杉並区中継所前で阿倍所長さんと)

 盛岡市は、盛岡紫波地区環境施設組合との共同で、容器包装リサイクル法に基づく「その他紙」「その他プラスチック」の分別回収・資源化を2010年度から行う計画です。そのため、盛岡紫波地区環境施設組合の旧清掃工場の建屋を改修しその中に処理施設を建設することとし、2009年度の予算で施設整備が予定されています。

 このことについて設置予定地域の住民の方から、①旧施設の煙突解体に伴うダイオキシン対策 ②廃棄物処理施設が集中し、しかも組合の規約にある「紫波郡・盛岡市都南地区」だけでなく旧盛岡市域まで収集処理する環境への負荷 ③廃プラスチック処理(圧縮)工程で発生する化学物質による健康被害・・「杉並病」への認識と対策などについて問題提起がありました。

 今回の視察は、そのうちの③に関して、住民の反対によって「廃プラスチック施設を断念」した町田市、杉並病の原因となったとされる不燃物ごみの「杉並中継所」と「杉並病」への区の対応などについて視察したいということが目的でした。(つづく)

ろうそくの灯が消えるように・・・・母93歳で逝く

 1月27日昼ころ、妻から電話が入った。「お兄さんから電話で、お母さんが亡くなったそうです」と。午前11時43分、母庄子ていが逝った。93年の人生だった。死因となる病気はなかったのだから、いわゆる老衰ということになる。覚悟はあったが、「昨日退院したばかりではないか」「少し早かったな」・・・・いろいろな思いが交叉した。

 年明けまで普通だった母は正月に訪れた孫やひ孫たちと楽しく過ごしたあと体調を崩し、自分で食事が取れなくなり寝込んだ。その後14日に入院した時には主治医に「いい薬を使って元気にさせて下さい」とお願いしたそうだから、回復したいと願っていたのは確かだ。市議会議長(宮城県登米市)をしている兄(喜一)の改選期を4月に控え、「足手まといになってはいられない」という思いがあったようだ。

 「早く会いに来た方がいい」と、近くにいる長姉からの電話もあり、19日に見舞った。病室のベッドにいた母は、呼吸が苦しそうで意識も混濁しているように見えた。これまでとは違った母の様子に戸惑った。間もなく、母は私に「今度はお別れだね」と言った。私はしばらくの間、黙って母の手を握ることしかできず、「覚悟が必要か」との思いが頭をよぎった。
 ところが、夕ごはんが近づき、母の「食べたい」という求めで私が買ってきた、「かつおの刺身」を三切れ食べ、出されたお粥も自分でスプーンを持って全部平らげて見せてくれた。その姿を見て、先ほどの「覚悟」という思いが吹き飛んだようにも思えたが、帰途の車の中では、「あと何回会えるかな」との思いが駆け巡った。

 その後母は一所懸命、出された食事をとり少し元気を取り戻したように見えたという。本人の強い希望もあり退院したのが、26日だった。
 自宅に戻り、一晩過ごした翌日、その時は突然訪れた。朝、家族と一緒に食事をとり、話を交わし、兄を見送った。その後ケアマネージャーの訪問を受け、今後の介護について相談をしていたさなかに意識を失った。救急車で病院に運ばれたが、意識が回復することなく、そのまま息を引き取った。外出先から急きょ病院に向かった兄も、間に合わなかった。まるで、ろうそくが燃え尽きて静かに炎が消えるような最期だったと思う。

 93歳、天寿を全うしたということだろう。自分も、もうすぐ還暦を迎える年になったとはいえ、やはり母を失った寂しさは大きい。

86歳でがんの手術~「後期高齢者医療制度」の間違いを身をもって証明

  母のことでは様々な思いがあるが、86歳で胃がんの手術をしたことは忘れられない。
 2002年11月、兄から電話で「母さんが今度胃がんで手術することになった」と連絡があった。「検診で発見し、主治医との相談で自分で手術を選択し、入院・手術の日程までほぼ決めてきた」というではないか。その時私は兄に、「高齢だから手術は慎重に考えた方がいいのではないか」と話した。少し前、知人が75歳の時胃がんで手術を受け、早期癌で手術は成功したが術後の体力の回復が思わしくなく、1年もたたずに亡くなったことがあり、そのことが頭をよぎったからだ。
 兄から「本人が決めてきたことを『高齢だからやめろ』というのか」と反論を受け、前言を恥じた。

 手術は成功したが、回復までにはやはり時間がかかった。その年の12月31日、外泊が許されずたった1人で年を越す母がさびしかろうと、一晩病室で付き添いをした。二人きりで、昔話をしながら、お酒もない、紅白歌合戦もない年越しが懐かしく思い出される。

 
 普通の3~4倍とも思えるようなゆっくりした時間がかかったが、やがて食事もとれるようになり普通の生活に戻ることができた。癌の場合「5年生存率」が話題になるが、それから6年以上生き、晩年はデイサービスでの楽しい時間を過ごすことが喜びだったようだ。昨年9月の敬老会でカラオケのマイクを握り、得意の喉を披露している写真が実に若々しい。

 86歳で検診を受けてがんを発見し、それを克服して人生を全うした母の姿勢~病気に限らず、常に前向きに取り組む姿勢は子供ながら尊敬に値すると思っている。
 私は、この母のことを思うにつけ、年齢で差別し「やがて死んでゆく」とほどほどの医療で良しという考え方からつくられた後期高齢者医療制度の間違いを身をもって証明しているように思える。

 最初に兄と交わした「高齢だから手術は慎重に考えた方が・・」との言葉が恥ずかしい。高齢者の医療を年齢で差別する制度は絶対に許すことができない。

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