フォト

駒ケ岳の花々

  • ハクサンチドリ
    2008年7月2日秋田駒ケ岳で出会った花々

野の花

  • Dscf28232
    2013年8月八幡平県民の森付近の道端に咲いていた花です
無料ブログはココログ

« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »

2011年3月

2011年3月30日 (水)

宮古市議団へ軽自動車の貸与を準備・・我が市議団の同僚議員に脱帽

 あす31日、わが市議団で宮古市に支援に行くことになりました。軽自動車2台を貸与し、支援物資を届け、被災状況を確認するとともにさらに現地が求めている支援についてお聞きをしてくる予定です。
 軽自動車2台の貸与は、髙橋和夫議員と鈴木礼子議員が準備してくれました。

 昨日29日、党盛岡地区の災害対策会議で、市議選が延期になった下での支援・救援活動の強化について協議した際、現地で困っていることの一つに、「津波で自動車が流されて現地での救援活動にも困っている」ということに応えられないかということが議論になりました。

 なんとかできないかと協議するうち、髙橋 和夫市議からは「自分が使っている軽トラックを一定期間貸与することは可能だ」と申し出があり、続いて、鈴木礼子幹事長からは「近所の方から、廃車にしようと思っている軽ワゴン車をいただくことにしているが、それを貸与することができる」というお話が出されました。昨日は「条件が整うのであればその方向で対応しよう」と確認しました。
 本日お聞きをしたところ、髙橋和夫議員は「昨日すぐに整備・点検をし大丈夫だ。携行缶に燃料も準備した」ということですし、鈴木礼子幹事長からは「さっそく夫が名義変更をし、車検整備をして、31日には届けられる」ということでした。さすが!改めて2人のベテラン議員の行動力には脱帽です。

 八幡平市の高橋悦郎議員は農民連、産直センターと協力して、米300キログラム、バナナ5箱、みかん5箱、カップラーメン5箱、ホーレン草150束を届けてきたとのこと。

 日本共産党は今、全力をあげて救援活動に取り組んでいます。


 

ふれあいランドへ青果卸売会社から野菜の差し入れ

 3月30日午後、ふれあいランド岩手に大根、キャベツ、バナナなどあわせて段ボール箱数ケースが届きました。市の中央卸売市場の丸モ中央青果株式会社が被災者支援のために提供したものです。

 ふれあいランドは、震災直後から避難所として沿岸からの避難者を受け入れており、現在も100名を超える方が避難しています。この方々を支援しようという動きは、地元の三本柳地区の各町内会などでも広がっており、ボランティアでの支援、地元の農家に協力を呼びかけた野菜などの差し入れが行われています。

 27日に、斉藤信県議とともに、この避難所に共産党青森県委員会から届いたリンゴなどを差し入れした際、館長から「不足がちなのは、野菜」というお話をうかがっていました。そこで、中央卸売市場内の青果関係業者の支援を得られないかと、昨日29日、丸モ青果を訪問して吉田会長と浅沼社長にお会いして、協力を要請したところ、「わかりました。協力しましょう」とこころ応じてくださったのです。
 今日届けられた野菜は、その第一弾ということです。
 お話しをお聞きすると、なんと、
ふれあいランドの体育館で避難所用にと畳を寄付したのは吉田会長の娘さんだということでした。

 28日の最終本会議で、市場長が、「市場における青果の入荷状況は震災当初前年比で50%までおちたが、90%台まで回復した」と答えていたが、会長のお話では、「100%を超えた」ということだ。そして、全国の市場や産地からも支援の物資や義援金も届いているという。「義援金をどう届けるのがよいか」と尋ねられたので、ぜひ谷藤市長に直接渡して下さいとお願いし、市場長を通じて調整してもらった。水産部の2つの卸売会社も加わり、3社が一緒になって31日に市長に届けることになったとのことだ。

2011年3月29日 (火)

盛岡市議会議員選挙も延期・・・延期期間の報酬削減を提案

 大震災の影響で、先に決められた岩手県知事選挙、岩手県議会議員選挙に続き、盛岡市議会議員選挙も延期され、現在の市議会議員の任期が延びることになりました。

 盛岡市議会議員の定数は、これまでの42から38になることが決まっており、2011年度の当初予算でも、5月からは議員数が38になることを前提に予算が編成されています。
 このままですと、議会議員の報酬の予算不足を生じ、増額補正が必要になります。

 党市議団は、このことを避けるとともに、災害対策への財源確保という意味からも、任期延長の期間について、議員報酬を削減する措置をとることを各会派に提案し、3月議会の最終本会議(3月28日)で条例改正を行うよう呼びかけました。

 幹事長会議での協議では、「唐突だ」「パフォーマンスではないか」などという声が出てまとまりませんでした。

 議会運営委員会で改めて提案しました。「賛成できない。パフォーマンスだ」「時間的に無理ではないか」などの意見が出されましたが、改めて会派で協議してほしいと提案。

 本会議休憩中に再度議運で協議した結果、削減するという方向では基本的に一致しましたが、削減幅や時期などについてはなお検討が必要だということから、新年度早々に改めて協議することになりました。

日本共産党中央委員会が盛岡市に義援金300万円

 日本共産党中央委員会は、被災地でもありまた県内の被災自治体への支援活動にあたっている盛岡市に対して300万円の義援金を贈呈しました。

 3月28日、市議会本会議終了後、斉藤信県議から谷藤市長に目録を手渡しました。5人の盛岡市議団が同席しました。

Img_65201
 斉藤信県議が、日本共産党が全国で取り組んでいる救援募金が3億円を超えていることなどを紹介し、救援活動への労をねぎらいながら激励しました。
 谷藤市長も、市の救援活動などについて触れながら、引き続き全力で取り組むことを表明しました。

 日本共産党中央委員会は、3月20日には高橋ちづこ衆議院議員が、岩手県の達曽知事に1000万円の義援金を贈っていました。

3月議会最終日、補充質疑・・被災者支援について(続き)

 前回に続き、3月議会最終日に行った補充質疑(被災者支援対策、災害に強いまちづくり等)についてお知らせします。

(庄子)自治体職員がたくさん犠牲になり、公用車が流されるなど役所機能に大きな被害が出た沿岸自治体への人的物的支援が緊急だ。県が県がと言わずに盛岡市がすぐ何ができるのかという立場で支援する必要がある。積極的な対応が求めらるがどうか。

(総務部長)被災地への物資支援ではこれまで3回被災地に送った。3月19日には宮古市に谷藤市長が4トン車2台で行った。23日には山田町に4トン車一台、26日には大船渡市に細田副市長が4トン車一台行っている。旧農林中金のビルに、盛岡市東北地方太平洋沖地震災害支援センターを設置して全国から届けられる支援物資、市が購入した支援物資を貯蔵している。人的支援では、3月14日15日に保険師3人を派遣した。その後保健師以外の職員を山田町、大槌町に応援に派遣している。3月26日現在で63人の職員が被災地に出向いている。消防からは宮古市と野田村に6回166人派遣している。陸前高田には市の保有車3台を今週中に貸与する予定だ。

(庄子)物資の支援だが、県のアピオには物資が滞っていて被災地に届けられていないという報道だが実態はどうか。盛岡市としても市長会長として、この事態を打開するために積極的な対応をする必要があるのではないか。

(総務部長)報道の範囲内であるが、物資が大量に寄せられている。順次送っているとは聞いている。それが十分か不十分課の判断はあろうかと思う。盛岡市としてもトラックを仕立てて被災地に送っている。今後もあるかと思う。市の備蓄資材が主だが県とも連携してまいりたい。

(庄子)盛岡に避難している方への支援についてはいろいろある。被災者が受けられる公的・公共的支援を分かりやすくお知らせしたパンフレットなどを作成してお知らせしていただきたいがどうか。

(総務部長)ぜひ、わかりやすい情報提供に努めてまいりたい。

(庄子)市場長にお願いしたい。ふれあいランドで避難している方々の状況をお聞きすると、いろいろな物資の支援があるが足りないのは野菜・葉物だということだ。市場の中で業者の協力を得るなどして、野菜・葉物のを支援する何らかの対応ができないか。是非相談していただきたいがどうか。

(市場長)災害後成果の入荷状況は徐々に良くなっている。当初半分から6割と言う状況だったが現在9割近く入荷している。葉物・青果についても提供できる状況だ。

(庄子)ガソリン・灯油などの燃料確保についてはどうか。いまだ行列が出来ている。中には一㍑170円程度で売っているスタンドがあり、実際買っている人もある。便乗値上のようなことについては監視と指導をしていただきたいがどうか。

(商工観光部長)ガソリン・燃料の安定供給については様々な機会を通じて要望をしている。市長から知事への申し入れも行った。一時期に比べると回ってきていると思うが、元売りの系列ごとの値段の決め方や判断があったりする。石油商業組合を通じて要望をしているが、引き続き便乗値上げのようなことがないようお願いしてまいりたい。

(庄子)福島原発事故への対応では、必要なことは市民への正確な情報の提示だ。先ほどモニタリングの結果については報告があったが、岩手県内では、モニタリング施設は盛岡の環境保健研究センターの一か所だ。広大な岩手で一か所と言うのは今日のこの事態のもとでは不十分ではないか。ぜひ増設を求めるなど万全な対策を求めていただきたいがどうか。

(環境部長)岩手県の環境保健研究センターが飯岡地区にあるから盛岡の現地に情報が入ってくるが、広大な県内ではそれぞれの自治体ごとにもという話も聞き及んでいる。正確な情報をもらうことが不安を取り除く唯一の要素であると認識している。モニタリングの箇所の増設や早く情報を開示していただくいよう要望していくことが大事だと考えている。

(庄子)市民の方の中には「何とかしたい」という思いが強い。市民の善意を生かして被災者支援を強める体制はどうか。

(保健福祉部長)市社協にボランティアセンターを開設して登録している。現在、個人が135人、団体で16団体が登録している。ふれあいランドには、のべ159人の方にお手伝いをいただいている。3月26日に来たつなぎ温泉へ移送されてきた被災者には11人が介助者として付き添った。受け入れ介助員としては7人が従事をした。そのつどお願いした。ふれあいランドでは三本柳の町内会から野菜や味噌汁などの支援をいただいた。沿岸地域へのボランティア派遣については県社協を通じてということになる。

2011年3月28日 (月)

3月議会最終日~東日本大震災対策について質疑、討論をおこなう

 今日、3月28日、盛岡市議会3月定例会の最終本会議を行いました。3月11日の総務常任委員会直後に発生した地震被害のため、その後予定していた審議日程(予算委員会、常任委員会等)8日間を休会とする異常な日程でした。大震災対策でやむを得ない措置でした。

 今日の最終本会議では、各会派持ち時間10分間の補充質疑を行い、討論表決となりました。日本共産党市議団の質疑には、庄子がたち、当面の災害対策、災害と福祉のまちづくりの立場での市政運営への転換について取り上げました。

(庄子) 市民の犠牲者の実態を把握して、災害弔慰金等の支給の準備はどうか

(総務部長) 盛岡市民の犠牲者は現時点で3人だ。警察・消防との連携を強め実態把握につとめる。

(保健福祉部長)弔慰金等の支給については調査が完了したものから支給していきたい。ホームページ、広報もりおか、市庁舎支所などに掲示して周知したい。

(庄子) 被災者に対するワンストップサービスの相談窓口開設・充実をすべきではないか

(市民部長)3月24日には市民ホールの一角に窓口を設置し、翌25日には市民ホール全体を使用して、全庁的な連絡体制をとって、ワンストップで相談受けて対応できる窓口を設置した。

(庄子) 被災者の受け入れ態勢の強化、住宅支援を図るべきではないか

(総務部長)現在公的な施設としては1900名分を確保している。県が指定する民間宿泊施設には市からも職員を派遣して受け入れている。

(建設部長)仮設住宅の建設場所は学校施設以外の、21か所約22ヘクタールを確保している。市営住宅は直ちに入居できる住宅は5戸、小規模の修繕で入居可能となるのは9戸で合計14戸が提供可能だ。雇用促進住宅についても国から「可能だ」と情報が来ている。その他住宅関連の会社から無償提供してもお話も来ている。県とも連携し市としても最大限努力したい。

(庄子)雇用促進住宅の活用については、矢巾町では町長のリーダーシップで、ふれあいランドでお避難者が入居している。玉山地区にある雇用促進住宅の活用への市の対応についてはどうか

(商工観光部長)実際使える部屋数は33戸あるということだ。部屋はあるが、住宅設備が整っていない。雇用促進住宅を活用したいという申し出もあることから、どういう形で申し出をを受けたらよいか、雇用能力推進機構と協議している。生活用品がないという状況でもあることから、その事情も考慮に入れながら対応して行きたい。  

以下 次回に続く。
 

2011年3月26日 (土)

早速市当局から回答・・窓口充実、罹災証明で自治体間連携申し入れ

 25日午後、盛岡市の市民部長から電話が入りました。前日の申し入れで、「市民や被災者の相談窓口を充実させ、ワンストップサービスの対応を」と要請していました。
 下長根市民部長は、「昨日までは、市民ホールの一角に相談窓口を置いていましたが、今日からは、市民ホール全体を相談窓口として、充実させました」とのことです。
 24日の申し入れのあと、被災者で盛岡市内に避難してきている方(津波研究家の山下文男さん)から相談があった「罹災証明をもらいたいが、手続きが困難だ」とのことについて、「現地の自治体と連携して、盛岡市役所が窓口になって手続きができるように支援できないか」と検討を求めていましたが、その件についても「そのような方が多くいらっしゃると思う。自治体間での連携を図るための調整を行うよう、岩手県当局に申し入れをした」と言う回答でした。

 私たちの申し入れについてさっそく市は対応してくれました。まだまだ被災者には様々な要望があります。それをお聞きしながら行政の対応をさらに充実させるための役割が、私たちにはあるのです。

2011年3月25日 (金)

災害支援・盛岡市の2重の役割を果たして~党市議団が申し入れ

 3月24日、日本共産党盛岡市議会議員団は、谷藤裕明盛岡市災害対策本部長・盛岡市長に対して「東日本大震災の救援・復興対策についての申し入れ」を行いました。

 申し入れには、庄子のほか、鈴木礼子市議団幹事長と髙橋和夫市議が参加(神部伸也市議は宮古市へ党市議団を代表して支援物資を届け激励に、鈴木努市議は地元で救援活動に参加中)。細田副本部長・副市長と小山総務部次長が応対しました。Img_19941
  東日本大震災から2週間が経過し、盛岡市の対策本部も不眠不休で頑張ってきています。日本共産党盛岡市議団も、救援募金活動や被災者への支援活動に全力を挙げています。そうした中で寄せられた、市民・被災者などの声を率直に紹介しつつ盛岡市が「被災した市民への支援」「被災地に対する救援・復興支援の中核都市としての役割」の2重の役割を果たすための
今後の対策について、次の5点(大要)を申し入れました
「東日本大震災の救援・復興対策についての申し入れ」(PDF) 


1、、盛岡市民の被災者の実態を正確に把握し、必要な支
援対策をとること。ワンストップで相談に乗れる窓口の強化を図ること。「盛岡市災害弔慰金の支給等に関する条例」に基づく、弔慰金、見舞金の支給に向けた準備を早急に整えること。
2、沿岸地域・その他の避難者への支援対策を充実すること。受け入れ態勢の強化、盛岡市内に避難してきた方々への総合的な窓口を設けて、罹災証明取得などの支援、住宅確保などの相談に応じられる、ワンストップサービスの窓口の強化をすること。
3、「ボランティアなどで支援したい」という方など、市民の善意を生かして支援する体制をさらに強化すること。
4、ガソリン・灯油などの燃料確保にさらに力を入れて取り組むこと。
5、福島原発事故の影響は盛岡市民にとって不安の材料であり、正確な情報提示を行うよう、県及び国に要望すること。


 細田副本部長・副市長は、「現時点でお答えできること」として、●窓口は基本的に整え、相談内容ついては、各課を紹介するという方法ではなく、担当課の方からその場にきていただく体制にした ●市民の犠牲者などの状況を把握しなければならないし、弔慰金の支給準備は急ぎたい ●被災者の受け入れは、現在つなぎ温泉などの宿泊施設での受け入れを優先して取り組み、270人が第一段で来る予定になっている。仮設住宅建設用地は、22万平米を提供できることを県に伝えている ●燃料確保については、知事・市長も先頭にあって取り組んでいる ●原子力の問題では、環境部と上下水道局で測定して公表することになっている などと答え、申し入れの内容は今後の対策で活かしたいと答えました。 

2011年3月24日 (木)

盛岡市民も被災者だ、市の対策の盲点になっていないか~盛岡市の2重の役割を果たすことが必要だ

 23日にも岩手飯岡駅で、救援募金の活動を行った。高校が休校となるなど22日よりは乗降客は少なかったが、それでも多くの市民が呼びかけに応じて募金をしてくれた。

 昼、被災者が利用できる公的な支援制度の一つでもある「災害弔慰金制度」について」、その手続きがどうなっているか、盛岡市に問い合わせた。電話での問い合わせであったが、担当課では即答できる状態ではなかった。

 この制度は、盛岡市の「盛岡市災害弔慰金等に関する条例」で規定されているものだ。地震,津波その他の異常な自然現象によって死亡した場合、定められた弔慰金を支給することが定められている。今度の東日本大震災では、盛岡市民も犠牲となっている。当然、この弔慰金の対象になるはずだ。ならば、担当課は当然この制度に基づいて支給を行う任務が生じる。にもかかわらず、私の問いに即答するものがいなかった。これは何を意味するのであろうか?

 18日の市議会全員協議会で、私は「盛岡市民が犠牲になっている。盛岡市民が被災者だ」と指摘して、その実態をつかんでいるかと問うたが、市の災害対策本部では把握している、あるいは把握しようといている気配が感じられなかったことが気がかりではあった。今回の震災では、盛岡市内において、地震による家屋倒壊その他で亡くなった人がいたというニュースは聞いていない。しかし、盛岡市民が、沿岸の仕事先で仕事中に、またはその他の用事で沿岸を訪問中に、巨大津波に飲み込まれて亡くなっている。死者○○○人の中に、果たして盛岡市民が何人いるのか。分からなくていいはずがない。
 「そのような被災者の相談窓口はどうなっているか」との問いには、通常の部門を答えるだけだった。その姿勢に少し危惧していたが、「盛岡市民も被災者だ」ということ、被災者の立場に立った支援対策の必要性についての認識が甘かったのではなかろうか、盲点になっていたのではなかろうかと感じた。

 今回の災害は未曾有の被害である。盛岡市には、市民の被災者への支援を行うことと、他市町村の被災者支援という2重の役割がある。その立場から、市の対策をさらに充実してもらいたい。

2011年3月22日 (火)

通勤・通学者へ「震災救援募金」を呼びかける

 3月22日朝、JR岩手飯岡駅前で、通勤・通学の皆さんに「東日本大震災救援募金」を呼びかけました。
P10501811
これまで週明けの最初の日朝宣伝を行っていましたが、震災で先週は中止した。運休していたJRも先週半ばから復旧し、朝宣伝を再開しました。

P10501871
 今日は、私のほか共産党支部・後援会員の方々6人が参加ました。朝7時半から8時半まで。多くの高校生、通勤の方が募金に応じてくれました。
 陸前高田出身の方が見えて「寒い中、このような応援をしていただいて本当にありがたい」とわざわざお話ししてくれました。
 
 明、23日も行う予定です。



 

「テレビの報道に怒りが頂点に達している」・・・福島原発事故で研究者が怒りの声

 3月20日、山下文男さん滞在のホテルのロビーで、偶然山下さんを訪ねてきたA氏とお会いした。大学で、原子力について研究していた方だった。お話をお聞きしているうちに、「福島原発の事故の問題では、私は怒り心頭に達しています」とおっしゃって、次のようなことをお話しされた。

 福島第一原発は、当初の予定は稼働は30年間の計画だったがもうすでに40年も運転している。既に当初計画では廃炉になっていてもおかしくないものだ。今回の事故では、直ちに海水注入の判断が必要な重大な事故であったにもかかわらず、その判断が遅れてさらに事態が悪化した背景には、海水注入によって廃炉になることをおそれた東電の経営判断が優先されたことにある。政府がそれに引きづられた形だ。それが許せない。またテレビに出てくる東大の先生たちも、東電のスポークスマンのようなコメントに終始している。・・・・・・・ということであった。

 日本共産党の志位和夫委員長が3月15日、原子力行政の推進機関である経済産業省などから独立した「原子力安全委員会」の役割をフルに発揮させ、そのもとで専門家の力を結集するよう、政府に申し入れた。東電や経済産業省の原子力保安院は、原発を推進してきた当事者であり、対応に限界があることからの提案だった。

 A氏は、「私は基本的には政治不信です。ノンポリです」と言っておられたが、そのお話はまさに問題点の中心を突くお話であり、日本共産党の提案とも共通する意見だと伺ってきた。

 「原発は2重、3重の安全対策がある」・・安全神話は崩れた。そして事業者は自社の経営判断を優先して対策が後手に回る。今回の事態の問題点だ。
 一刻も早い終息に向けての対策が急がれる。同時に事態のしっかりした検証も必要だ。既に、ホウレンソウ、牛乳などに被害が出ており、さらに拡大する懸念がある。責任はきっちり取ってもらわなければならない。

津波研究家山下文男さん、盛岡市に

 3月20日、知人から分けてもらった貴重なガソリンを使って市の中心地まで行ってきた。3月17日付の岩手日報紙で、「津波研究者 九死に一生」と報じられた山下文男さんにお会いしてきた。 (写真下・・・岩手日報記事の切り抜き) 

P1050168

 山下文男さんは大船渡市三陸町の出身で、元日本共産党幹部会委員。文化部長をしていた。当時から、少年時代に経験した昭和三陸津波をはじめ、津波被害について研究し、著書も多数、民間研究者の第一人者でもある。
 陸前高田市の県立高田病院に入院中に被災した。4階に入院中だった。窓際から津波を観察しようとしていた時、その津波は4階まで駆け上がり、カーテンにしがみついて助かったという。その後東和病院に移送され、夫人とともに盛岡市に避難してきた。
 
 お世話していた宮脇善雄氏(元日本共産党中央委員・岩手県委員長)からの要請で、今後の盛岡市での生活のための支援を行うためである。山下さんと直接お会いしたのはかなり前で、記憶は定かではないが、国政選挙の際に岩手に応援に来ていただいた時のように思う。
 ご夫婦とも高齢(87歳)であるため、盛岡市に住居を移されるということだ。転入・市民登録、介護保険の利用など、役所との窓口としての様々な支援が必要だとのことで、お手伝いすることにしてきた。

 山下さんが、無事であったことは2重3重に貴重だ。山下さんをして「今回の津波は想像を超えていた」と言わしめた今回の津波被害。この被害から何をくみ取り、何を教訓にして今後の対策につなげるのか。山下さんの役割は大きい。

 テレビ朝日系で、27日日曜日午前中の番組に、山下さんのインタビューが流されるということであった。

2011年3月19日 (土)

3月議会の日程をさらに変更・・・災害対策について市議会全員協議会

 3月18日、市議会運営委員会が開かれ、14日に決めた3月議会審議日程の変更をさらに変更することを確認した。14日の議運では、本会議、予算委員会、常任委員会など、審議日程は縮小するものの、4日間の開催が予定されていた。今回の変更で、28日の最終本会議で、議案については補充質疑を行い、討論表決することとし、受理している請願については、委員会に付託した上、継続審査とすることを決めて閉会するというものだ。

 16日に、私も「さらなる日程縮小を」と、議運委員長に提案していた。この非常事態で、市の災害対策本部がフル稼働している状況では、やむを得ない措置だ。今度の当初予算は、このような未曾有の震災を前提にしていない。当然、大幅な補正予算が組まれ、その審議がいずれは必要になる。議運では、状況を見ながら、その審議の際に十分時間をとって改めて議論・審議することを、選挙の延長いかんにかかわらず次期の議会に引き継ぐことを確認した。

厨川中学校の2校舎が使えなく・・・地震の被害

 災害対策に関する全員協議会では、盛岡市内の被害状況や、今後の対策などが市の対策本部から報告があった。市内の被害では最も大きかったのは厨川中学校の2つの校舎が使えなくなったことだ。耐震診断の結果、改築工事が行われるが、その間、1~2年性が近くの小学校の校舎での授業となるということだ。

火葬受付の再開・被災者の別枠を設ける

 燃料不足のため、19日からの火葬の受付を見合わせていたが、灯油が確保されたため、受付を再開した。盛岡市民も、地震・津波で犠牲になっている。その実態を市は把握すべきだ。そしてその犠牲者への対策が必要だ。今回市は1日5人の枠で、犠牲者の火葬を別枠で受け付けるということにした。私の提案が生かされたと思う。

燃料不足の解消へ・・意見続出

 災害対策に関する議員からの質疑では、ガソリン・灯油の燃料不足の解消に対する見通しについての意見が続出した。川村副市長は、政府が「関西、北海道などから東北に1日3万8千キロリットルの供給が行われる。好転するのでは」と述べたが、石油製品の運送などををおなっている会社の関係議員から、「石油が全くない」という状況ではないはずだ。もっと県がイニシアチブをとって流通の対策をとるべきだ、などとの意見も出された。
201103184
 いずれにしても、ガソリンの給油のための渋滞は日に日にエスカレートしている状況で、その解消が急がれる。

仙台空港への津波来襲と名取市閖上地区の被災状況・・・・次男が帰宅する

 仙台空港敷地内の会社で仕事中に被災した次男が、一昨日帰ってきた。11日の地震直後、庭に出たものの津波が迫っているということで急きょ屋上に避難したが、みるみるうちに迫ってくる津波に「もうだめか」と一瞬思ったという。

Dvc000011
 13日に救助されて寮にいたが、原発事故のこともあって会社から「自宅待機」を告げられ、15日の夕方仙台をでた。車も流され足もなく、盛岡までの交通機関が麻痺している中、いったん山形へ、そして秋田経由で2泊3日かけて帰ってきた。帰って来たとたんに、仙台盛岡の高速バスが開通したというから、皮肉ではあるが、この惨状のなか助かったことのありがたさをかみしめているようだ。
 名取市閖上(ゆりあげ)地区の被災状況の写真を持ってきたが、本当に、本当に悲惨な状況だ。

Img_02841  共産党は、高橋千鶴子衆議院議員を本部長に、災害対策本部と立ち上げ、党を挙げての支援活動に取り組んでいる。岩手県委員会のも連日募金活動、現地への支援活動を強めている。地元の支部の皆さんと取り組んだ募金は現在1万9千円。さらに支援を強めようと意思統一した。

2011年3月18日 (金)

被災者に「労災」適用を!

 今度の地震・津波で息子を失った方から相談があった。会社の方のお話では「仕事中に被災して亡くなったが、『天災』であるから労災保険の対象にはならない」とのこと。

 さっそく、いわて労連の「労働相談センター」に相談した。盛岡の労基署に問い合わせていただいたところ、「基本的には適用にはならないが、今回の災害にあたっては、柔軟に対応したいので、相談に来てほしい」ということだった。さっそく、会社の担当者に電話してこのことを伝え、是非労災の対象になるよう会社としても協力していただくようお願いした。

 今回のケースが、適用になるかどうかはまだ分からないが、あらゆる制度を動員して被災者への支援を行うべきであり、労災についても、実際に仕事中に命を失っていることから適用されるべきだ。共産党の災害対策本部にもこのことを伝え、国会議員団としても取り組んでいただくよう要請した。

2011年3月17日 (木)

燃料不足は深刻・・・娘に届けたい!被災地に届けたい!

 盛岡でも燃料不足は深刻だ。今朝(17日)7時頃、事務所前の除雪をしていたところ知り合いがやってきた。「トイレを貸してほしい」という。どうしたのだと聞いたら「ガソリンスタンドに向かって朝4時から並んでいる」「花巻市にいる娘が看護師をしている。重症の被災者を受け入れている病院だが、ガソリンがなく夜勤などに出勤できない。近くでは全く手に入らないということだから、自分が給油して娘に届けるのだ」という。

 良く見たら、渋滞している車は全く進まない。ドライバーが車から離れて無人の自動車が数台ある。1キロメートル以上も延々と連なっているのだ。まだ開店(予定)の前なのにだ。はたして、給油できたのだろうか。「自分も並んだ」という人の話では、結局店が開かなくて空振りだった、ということだ。

 別の市民の方から電話での相談があった。「大船渡の娘が灯油がなく困っている。スタンドにいったら、『許可証』がいると言われた。どこに行ったらもらえるのか・・・」と言う相談だった。その許可証発行が警察の管轄であることをお知らせしたが、はたしてその許可はもらえたかどうかはお返事をいただいていない。

 近くにある介護施設「茶愛(ちゃお)」を訪ねてお話をお聞きしたが。「現在は利用者さんを受け入れていますが燃料がいつまでもつかだ。」と言うことだ。

 ゴミの収集も中止だ。とにかく、燃料の確保は、市民生活にとっても、被災者への支援にとっても、もしかすると最も早急に解決されるべき課題になっているのではないか。 

2011年3月16日 (水)

みんな被災者だ②

 昨晩向田氏の長男の遺体が戻ってきた。身長185㎝。長身の、そして眉の濃い、堀の深い美男の顔が、ゆがんでいた。どんなにか苦しかったことか。会社から勤続表彰を受け、中堅幹部として活躍しているさなか、どんなに無念だったかと思うと、あふれる涙をこらえることができなかった。

 少し、被災の時の様子が分かってきたという。地震が発生して、「逃げろ!」と声がかかった。同僚は、山の方へ向かったが、彼は反対の方へ向かってしまったというのだ。口をあけた怪物の、その口の中に自ら飛び込んでしまった。地理の不案内が、そのようにさせたのか。同僚は助かったということだから、なんとも無念でならない。

 葬儀等の相談をしている中で、「盛岡では18日まで火葬場が満員。その後は燃料がなく受け入れられない」と言う。となりの紫波町の火葬場では、被災者への対応として、通常の受付時間外で、午前8時と、午後4時に特別枠を設けて火葬してくれるという。

 その場から、被災者支援の観点から、盛岡市がこういう場合に支援する(委託もしくは援助)ことが緊急にできないかと、災害対策本部に電話で提案して検討を求めた。

 燃料不足は、火葬場だけではない。ゴミの収集もストップする。桜山参道界隈の商店街では、燃料がない、仕入れもできない、客も来ない存亡の危機だという。介護施設でも、燃料がなくサービスをストップしているところもある。市民生活も逼迫に向かっている。

 みんな被災者だ。この事態を受け、14日の議運で検討したの議会運営日程の変更については、さらに見直しが必要ではないかと、議運委員長に提案した。
 とにかく、非常事態への対応が必要だ。

 共産党関係では、心配されていた沿岸地方の党機関や議員の消息も確認しつつある。壊滅的な打撃を受けながら、必死の救援活動を続けている。
 救援募金運動を呼びかけて、取り組みを始めた。

2011年3月15日 (火)

みんな被災者だ

 恐れていたことがやってきた。連絡不通になっっていた、我が自主防災隊(見前ニュータウン自主防災隊)の向田副隊長のご子息の遺体が見つかったというのだ。宮古市におかれた安置所にこれから迎えに行くという。「この災害だから仕方がない」と言うものの、「37歳の人生に幕を引いた。順序が違う」という言葉に、父親の無念の気持ちが伝わってくる。

 テレビでは、市民が撮った、津波が襲ってくる映像が流れている。恐ろしさがよりリアルに伝わってくる。沿岸地方の惨状は、息をのむ思いだ。一刻も早く、ひとりでも多くの人命救助を!と願うのみだ。そして、被災者への救援の手が差し伸べられなければならない。

 盛岡市内の被害は比較的軽微だと思っていた。確かに現在ライフラインも復旧した。市内における被害も、沿岸地方のそれと比較すれば、さほどではなかった。2日間の停電も、断水も、許容範囲であろう。

 しかし、被害はそれだけではない。息子が、兄弟が、親戚が、恋人が、友人が、同僚が・・・・被害にあっているのだ。そして安否を心配し心を痛めているのだ。関係のない人はほとんどいないだろう。その意味ではみんな被災者だ。

ここをどう乗り越えるか・・
 そのために、行政が、議会が、市民が、何をなすべきか・・・・鋭く問われている。

 盛岡市は、他自治体の被災者の受け入れ体制をとり、500人の受け入れが可能だと発表したという。それは、決して「他の人を援助する」ということではない。まさに、我々盛岡市民そのものの問題だということではなかろうか。可能な限りの対応をしてもらいたい。

 議会も全面的に応援する体制をとらなければならない。
 

 

2011年3月14日 (月)

震災対応で、議会の日程も変更

 3月14日、午前9時から、市議会運営委員会が召集されました。東日本大地震の災害対応のため、議会日程を変更することが議題でした。
 3月11日に起きた東日本大地震で盛岡市では、建物の倒壊などの被害は少なかったものの、断水が一時3万世帯、停電が11日震災直後から、13日まで続いたことなどから、64施設に4,496人が避難したほか、沿岸被災地への支援、水道支援のための日本水道協会の基地としての役割を果たすなど、市の災害対策本部も不眠不休で活動してきました。
(写真下:市の災害対策本部・14日午前11時半ころ)
 ライフラインの復旧にしたがって、避難所も閉鎖しつつありますが14日朝8時現在で、20か所に576人が避難しているということです。

P10501541
 災害救助法に基づく県知事からの命令として、市に対して、①収容施設の供与 ②炊き出しその他による食品の給与及び飲料水の供給 ③被服、寝具その他生活必需品の給与または貸与・・・・その他の対応が求められています。市役所の玄関には、沿岸地方に送る物資が積まれていました。 
(写真下)

P10501521  さらに、被災地からの避難者の受け入れも始まっており、最大数千人規模になることも想定されるということです。
 未曾有の災害に対応して、市議会の運営については、今週予定されていた、常任委員会審査、本会議、予算委員会の日程をすべて休会とし、23日に本会議と予算委員会、24日に予算委員会、25日に各常任委員会を開催することにしました。
 この事態と議会運営について、18日午後から市議会全員協議会で議員全体のものにすることも確認しました。

2011年3月13日 (日)

すさまじい地震・津波の大惨事に言葉を失う

 どのような言葉で書きはじめたらよいのか・・・・見つからない。
 地震直後「これはただ事ではない!」と直感したが、まさかここまでとは。地震直後からの停電が今日(13日)昼頃に回復した。そして見たテレビの映像に絶句した。

 3月11日午後2時46分、その時は突然やってきた。市議会総務常任委員会が終わって、事務所に戻った。間もなく携帯にメールが入ったのだ。「緊急地震速報」だった。メールを読み終わるが早いか揺れだした。古い木造の事務所が倒れるのではないかと思わせるような激しい揺れだった。柱に捕まって耐えた。かつて経験した事のない長い、長い揺れだった。幸い建物にも被害もなく、おさまって外に出たら、近くの人もみんな出ていた。

 直ぐ目の前にあるスーパー(カーラたもり)では、落ちて割れたお酒で店内にアルコールのにおいが漂っていた。見前小学校、見前中学校を見て回ったが、児童・生徒は校庭に避難。大事はなさそうだ。子どもの家も、まだ児童が来る前であり、建物にも大きな損傷はなさそうだった。

P10501461
 総合支所に行ったが、まだ情報は分からない。
 南消防署には、さすが、21分団団長が詰めて各部に出動の指令を出していた。

 地元に戻って、自主防災隊の活動に参加した。すでに「要援護者」の一人暮らしの高齢者の安否確認が進んでいた。停電の暗くて不安な夜。そして停電で暖房が使えないという人もある中、集会所を避難場所にして、反射式石油ストーブを集め、食糧を調達し1人暮らしの方などに呼びかけていた。
 知らない人もいるのではないかと、ハンドマイクで団地内を広報して廻った。「怖くて、見前小学校に避難したら開いていなかった。見前中学校に行っても同じだった。諦めて帰ってきたら、広報が聞こえたので来ました」という方なども加わって10人が避難所で朝をむ迎えた。
 この避難場所は停電が続いた12日の夜も開設し、2夜続いた。

 12日には盛岡でも断水があったことから、給水場所を視察し、上下水道局に確認した。「このまま停電が続けば、さらに断水が世帯が増える」ということだったが、12日の午後から徐々に市内の電気も回復して、最悪の事態は免れた。

P10501481

 それにしても・・・マグニチュード8・8 いや 9・0の地震のエネルギーはすさまじく恐ろしい。仙台にいる息子は、11日16時過ぎに「被災した。帰れない」とのメールをよこしたまま。心配していたが、今朝になって「無事生還した」とメールが入ってほっとした。

 しかし、我が自主防災隊向田副隊長のご子息が、2日間連絡が取れないという。11日朝5時に仕事に向かった先が、山田町だというではないか。安否が気遣われる。

 菅原県委員長によれば、陸前高田市、大船渡市、釜石市、野田村の各議員などともまだ連絡が取れないという。なんとか無事でいてもらいたいと願うのみだ。

2011年3月11日 (金)

桜山参道地区将来構想・・土塁・勘定所などの計画白紙撤回を!署名33010人分、市長・議長に陳情、請願

 3月9日午後、盛岡市が打ち出した、桜山参道地区への土塁、勘定所風建物などを整備する「将来構想」に反対する請願署名運動を取り組んでいた、内丸第2町内会と東大通商業振興会の皆さんが、集まった署名を、谷藤市長と佐藤議長に届け、陳情、請願しました。

P10501271  集まった署名の数は、33,010名分。最初に谷藤市長に陳情しました。東大通り商業振興会の颯田淳会長が、市長に陳情の趣旨を ①遠い将来であれ、立ち退きが前提となる計画案は出さないでほしい。未来が断たれるような計画の話し合いのテーブルにはつけない。話し合いができる環境を作ってほしい ②老朽化が進む建物について現状を踏まえて防災上の観点から、早急に柱などの基本構造部分を含む改装、改築を認めてほしい、ということだと説明。
 半世紀以上続く街並みの魅力、ここで脈々と商売を行い生活をしている人々、そして全国から愛されているこの町を守りたいという思いを伝えました。この陳情には、町内会・商業振興会の会員のみなさん、約30人が参加し、「親の代からの商売で2代目だ、続けられるようにしてほしい」「静岡から転入して商売している。この町の魅力にひかれたからだ。ぜひ大事にしてほしい」などと市長に訴えました。

 谷藤市長は、「底地が史跡であるということを前提にしつつ、安心安全の町づくり、にぎわいをさらにつくっていくためのまちづくりに向けて話し合いていきたい」「市のたたき台にはこだわらない」などと応対しました。

P10501331 つづいて、市議会の佐藤栄一議長に対して、請願。佐藤議長は、議会でしっかり審議していただきます。と応対しました。
 この請願に紹介議員となったのは、我が会派の鈴木礼子市議と、「改革みらい」で地元の高橋司市議。鈴木礼子市議の代理として、この陳情・請願に高橋議員とともに庄子も同席しました。

2011年3月 9日 (水)

朝宣伝からスタートして

 9日は議会が休会。朝、恒例の朝立ち宣伝。昨夜から降った雪で一面が白く、路面も凍結。まさに三寒四温です。斉藤信県議とともにツルハ前の交差点に立ちました。P10501011

 県議会も盛岡市議会も議会開会中。保険証がなく手遅れで命を失う・・・民医連が全国調査して発表した中に、岩手県で67歳の男性の例がありました。国民皆保険が危機です。斉藤県議は、この問題を取り上げた県議会での論戦を紹介しながら、国保税の引き下げ、資格証明書発行をやめて保健証の無条件交付、無保険者の実態調査と対策の必要性を訴えました。

P10501201
 その後、午前中は後援会員の皆さんとともに街頭から訴えました。少し日差しも出て、外に出てきてくださる方もあり、激励を受けました。
 

3月議会報告~啄木から何を学ぶか②

地図の上 朝鮮国にくろぐろと 墨を塗りつつ秋風を聴く

 木が、「一握の砂」の発刊(1910年・・明治43年)の年に起きた「日韓併合」について、それを憂慮し、「日本の植民地化に苦悶する朝鮮民族の慟哭」(碓田のぼる)に思いを寄せて詠んだ歌です。

  昨年は「一握の砂」100周年であったと同時に「日韓併合」100年だったのです。谷藤市長に対して、この日韓併合についての歴史認識も問いました。


 谷藤市長は、「当時の政治的・歴史的な背景があったとしても、韓国の人々にとりましては大きな痛みを被り、悲しく重い歴史となって今日に至っているものと認識している」と答えました。

 今回、木について改めて勉強し、多くの感動と再発見がありました。
 「時代閉塞の現状」の中にある次の一節もその一つです。「教育とは何か」を論じているのです。

 「ここに一人の青年があって教育家たらむとしているとする。彼は教育とは、時代がそのいっさいの所有を提供して次の時代のためにする犠牲だということを知っている。しかも今日においては教育はただその「今日」に必要なる人物を養成するゆえんにすぎない。そうして彼が教育家としてなしうる仕事は、リーダーの一から五までを一生繰返すか、あるいはその他の学科のどれもごく初歩のところを毎日毎日死ぬまで講義するだけの事である。もしそれ以外の事をなさむとすれば、彼はもう教育界にいることができないのである。」

 この教育論からも、現代は多くを学ばなければならないのではないかと強く思いました

2011年3月 8日 (火)

3月議会報告① 啄木から何を学ぶか

 3月7日、今任期最後の一般質問に立ちました。Img_10441
 谷藤市長が議会の冒頭あいさつで、「一握の砂」発行100周年を迎えたことを取り上げ、「木の感性を身につけて市政を担う」と述べたことを受け、会派の代表質問(鈴木礼子議員)に続き、私も「木から何を学ぶべきか」との観点から市長の政治姿勢を問いました。

 私が盛岡に来て初めて求めた本が岩波文庫の「木歌集」でした。谷藤市長に誘発されてその「歌集」を、そして評論「時代閉塞の現状」、詩集「呼び子と口笛」、平成20年に「盛岡木手帳刊行委員会」が発行した「盛岡木手帳」のページを開いてみました。

 木は、「時代閉塞の現状」のなかで、「毎年何百という官私大学卒業生が、その半分は職を得かねて下宿屋にごろごろしている」と指摘し、「かくて今や我々青年は、この自滅の状態から脱出するために、ついにその「敵」の存在を意識しなければならぬ時期に到達しているのである」「我々はいっせいに起ってまずこの時代閉塞(へいそく)の現状に宣戦しなければならぬ」と述べています。まさに、現代の「閉塞状況」に通じる指摘です。
 木の感性に学ぶならば、この閉塞状況打開をどこに求めるのか、なにを「敵」とし、どう宣戦するかが問われています。

 また、木は、岩手日報に寄せた「百回通信」の第23回で、「政治は国民全体の安寧福利を目的とし、それに反する少数の富豪や貴族階級の擁護に終わってはならない」という趣旨の言葉を寄せ、「それはまさしく「社会主義と称せらるる思想」によるものだとのべています。
 いわゆる「社会主義」についての見解を別としても、「少数の富豪・貴族の擁護ではなく、国民全体の安寧を目的とすべき」との木の言葉は、現在の政治の問題点をも鋭く指摘しているのです。

 この立場に立つならば、弱肉強食の政治で貧困と格差を極限まで拡大した、小泉構造改革路線からの真の意味での転換が必要であり、真の福祉国家を目指すべきであり、住民サービス削減、官から民への、盛岡の市政運営についても改めるべきではないかと指摘し、谷藤市長の2期8年間の市政運営に対する指摘もしました。詳しくは、共産党市議団のホームページに質問と答弁を掲載する予定です。

2011年3月 3日 (木)

盛岡市が点字ディスプレーの支給対象の拡大へ

 盛岡市は、これまで「もうろう者」(視覚障害と聴覚障害を併せ持つ方)を対象としていた「点字ディスプレイ」の支給対象を、新年度から「視覚障害者」にも広げる方針を固めました。
 3月議会本会議が始まった3月2日、担当者から私その方向であることが伝えられました。
F10100721  点字ディスプレイは、点字の記録を紙ではなく機械にでき、パソコンとつないで情報のやり取りをすることができるすぐれもので、障がい者の方々への「日常生活用具」として給付されるものです。
 その支給対象について厚労省は、平成18年度から「もうろう者」に加えて「視覚障害者」もその対象にすることを示していました。

 盛岡市の要綱では、この対象について「もうろう者」と定めていたため、昨年申し込んだ視覚障害者が断られていました。お隣の矢巾町ではすでに支給対象になっていました。
 
 このことについて、昨年6月、日本共産党市議団と岩手県視覚障害者友好協議会(視友協)の皆さんが一緒に市に要望し、昨年の6月議会で、前向きに検討すると答弁をいただいていました。

 市では10台分を予算化し、新年度に周知期間を設けたうえで募集しする予定だとのことです。
 

2011年3月 2日 (水)

春の火災予防週間・・・火の用心 カチカチ

 「『消したかな』あなたを守る 合言葉」を標語に、3月1日から「春の全国火災予防運動」が始まりました。(期間は7日までの1週間) 
 冬の寒さも峠を越え、火の取扱いに対する注意心が緩みがちになる春先のこの時季は、空気が乾燥し風の強い日が多いことから火災が発生しやすくなっていることから取り組んでいるものです。
Dsc052041  運動が始まった3月1日夜、我が見前ニュータウン自治会では、昨年秋の予防運動につづき、自主防災隊と子供会の協力で、「火の用心」の見回りパトロールを行いました。

 午後6時半、子供たち、保護者、そして自主防災隊役員など総勢約60名が集まり、野辺地自治会長・防災隊長から訓示を受け、元気に出発。自治会内を約50分かけて、パトロールして歩きました。「火の用心、マッチ一本火事のもと。焼き肉やいても家焼くな。カチカチ」と、子供たちが元気に声を出して火災予防を呼びかけました。
 盛岡南消防署、盛岡市消防団21分団2分の皆さんも駆けつけて下さりご指導いただきました。

« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »