すさまじい地震・津波の大惨事に言葉を失う
どのような言葉で書きはじめたらよいのか・・・・見つからない。
地震直後「これはただ事ではない!」と直感したが、まさかここまでとは。地震直後からの停電が今日(13日)昼頃に回復した。そして見たテレビの映像に絶句した。
3月11日午後2時46分、その時は突然やってきた。市議会総務常任委員会が終わって、事務所に戻った。間もなく携帯にメールが入ったのだ。「緊急地震速報」だった。メールを読み終わるが早いか揺れだした。古い木造の事務所が倒れるのではないかと思わせるような激しい揺れだった。柱に捕まって耐えた。かつて経験した事のない長い、長い揺れだった。幸い建物にも被害もなく、おさまって外に出たら、近くの人もみんな出ていた。
直ぐ目の前にあるスーパー(カーラたもり)では、落ちて割れたお酒で店内にアルコールのにおいが漂っていた。見前小学校、見前中学校を見て回ったが、児童・生徒は校庭に避難。大事はなさそうだ。子どもの家も、まだ児童が来る前であり、建物にも大きな損傷はなさそうだった。
総合支所に行ったが、まだ情報は分からない。
南消防署には、さすが、21分団団長が詰めて各部に出動の指令を出していた。
地元に戻って、自主防災隊の活動に参加した。すでに「要援護者」の一人暮らしの高齢者の安否確認が進んでいた。停電の暗くて不安な夜。そして停電で暖房が使えないという人もある中、集会所を避難場所にして、反射式石油ストーブを集め、食糧を調達し1人暮らしの方などに呼びかけていた。
知らない人もいるのではないかと、ハンドマイクで団地内を広報して廻った。「怖くて、見前小学校に避難したら開いていなかった。見前中学校に行っても同じだった。諦めて帰ってきたら、広報が聞こえたので来ました」という方なども加わって10人が避難所で朝をむ迎えた。
この避難場所は停電が続いた12日の夜も開設し、2夜続いた。
12日には盛岡でも断水があったことから、給水場所を視察し、上下水道局に確認した。「このまま停電が続けば、さらに断水が世帯が増える」ということだったが、12日の午後から徐々に市内の電気も回復して、最悪の事態は免れた。
それにしても・・・マグニチュード8・8 いや 9・0の地震のエネルギーはすさまじく恐ろしい。仙台にいる息子は、11日16時過ぎに「被災した。帰れない」とのメールをよこしたまま。心配していたが、今朝になって「無事生還した」とメールが入ってほっとした。
しかし、我が自主防災隊向田副隊長のご子息が、2日間連絡が取れないという。11日朝5時に仕事に向かった先が、山田町だというではないか。安否が気遣われる。
菅原県委員長によれば、陸前高田市、大船渡市、釜石市、野田村の各議員などともまだ連絡が取れないという。なんとか無事でいてもらいたいと願うのみだ。
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