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2011年4月

2011年4月29日 (金)

盛岡市内への避難者 1500人を超える!・・・支援強化を求める

 4月28日市議会全員協議会が開かれ、東日本大震災の盛岡市の被害状況と対応について市から報告がありました。

避難所に376人 その他に1200人も

この中で、現在盛岡市内の避難所に避難している方が、4月26日現在で376名いらっしゃることが報告されました。
 また、盛岡市内、公営住宅への入居者が、盛岡市営住宅 33戸、雇用促進住宅 46戸 国家公務員宿舎 10戸の合計 68戸に入居していること、民間住宅の借り上げによる支援は、25日から相談を開始したが、25日、26日の2日間で 合計65世帯の相談があったということです。

 それに加えて、知人や親せきなどを頼って避難してきた方が相当数いらっしゃるのではないか、被災者への支援については、その実態をできるだけ把握して対応する必要があるのではないか支援する必要があるのではないか・・・・庄子の質問に答えて、市民部長は、3月11日以降、4月20日までに被災地の県内沿岸部、宮城、福島両県からら盛岡市に転入した方が、合計で691世帯、1167人に及ぶことを明らかにしました。( 岩手県内から 462世帯 806人 宮城県から 174世帯 260人 福島県から 55世帯 101人 など) 
 市民登録をせず、一時的に身を寄せている人もくわえれば、さらにその人数は増えるものと思われます。


支援制度を知らせるパンフレットを!

 庄子は、この方々への支援の上で、被災者に対する様々な支援制度を知らせるパンフレットを作成して、市民に知らせることを改めて提起しました。党市議団が発行した「市議団ニュース」にその一部を掲載したところ、党市議団にその情報をみた方から問い合わせの相談が続いたことを紹介し、検討を求めました。
 菊池総務部長は、「すべての支援制度を網羅すると30ページにも及ぶが、ダイジェスト版などが可能か検討する」と答えました。


対応が遅い!情報発信をもっと!

 共産党市議団の鈴木礼子幹事長は、被災地から非難し民間アパートに入居し、子供を小学校に入居した方に対するその対応が、事実上のタライ回しであったことを指摘して改善を求め、転入した児童生徒への支援を早急に実施するよう求めました。また市民へのメッセージが不十分で市に対して「市が何をやっているか見えない」などの声が市民の中にあることを指摘し、スピード感を持って取り組むことを求めました。

石を割って見事な花を!~盛岡の石割桜が満開

 盛岡の石割桜(盛岡地方裁判所敷地内)が満開になりました。(撮影は26日昼ごろ)

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 この時期、例年だと次から次と観光客の皆さんがおいでになり、昼時間だと桜だけを写真にとるのは難しいことから、早朝に撮ったこともあります。しかし、今年は、本当に少ない。だから簡単に桜だけの写真が撮れてしまうのです。

 数人しか見受けられないというのはさみしい感じです。裁判所隣にある県議会の駐車場が臨時に観光バス駐車場になり、県外からおいでになる様々なお花見ツアーのバスが数台駐車しているはずなのに、一台もないのです。
 震災の影響は明らかです。

 それでも、400年の歴史と言われる、この桜。今年も見事に花をつけ、「石を割って花を!」と力強く、無言でメッセージを発信しているように感じられました。

 

 

2011年4月26日 (火)

被災者支援と復興へ新たな決意~宮城県北を見舞って

 東日本大震災発生から1か月を経過した4月半ば、岩手県南から、郷里である宮城県北の被災地を訪問し、見舞ってきました。庄子の郷里は宮城県の登米市。津波の直接的な被害を免れ、となりの南三陸町などから避難者を受け入れています。少し時間がたちましたがレポートします。

 14日朝盛岡市を出て、大船渡市から南に向かいました。大船渡市内では、津波に破壊された時計が、まさにその時を示したままでした。Dsc052831
 陸前高田市では、地盤沈下で高田球場が海の中。
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 気仙沼では陸地に乗り上げた大型船があちこちにあり、
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 JR気仙沼線で線路が津波でめくれ上がっていました。
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 気仙沼から南三陸町への国道45号は寸断され、山道を通って南三陸町に入ると破壊しつくされた南三陸町の町並み、小さい頃遊んだ記憶のある志津川の変わりように絶句しました。
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 改めて、この震災の大きさを思うとともに、被災者支援と復興へ決意を新たにしました。

党市議団が震災対策で市に申し入れ(第2次)

 4月22日、共産党盛岡市議団は市の対策本部長谷藤裕明市長にあてて東日本大震災対策で第2次の申し入れを行いました。申し入れには党市議団5人全員が参加し、細田副市長・災害対策本部副本部長が応対しました。

P10503531  申し入れは、これまで党市議団に寄せられた被災者の方々からの要望などを踏まえて、①被災住民が民間アパートに入居する際に、入居費用・家賃等の補助を急いで実施し、すでに入居している方に対しては、遡及して補助を実施すること。②被災地から盛岡市へ避難している児童生徒に対して、学用品の支給・入学費用の援助など早急に検討し実施すること、③盛岡市の個人住宅等にも損壊の被害が発生していることから、損壊した家屋等に対する緊急補助制度を実施すること、④市内の中小企業等の経営にも影響を受けていることから、資金対策をはじめとした支援を強化すること。あわせて雇用・生活のための相談窓口を開設して相談に応じること、⑤被災者への各種支援制度をわかりやすくまとめてパンフレットを作成し、被災者及び市民に配布すること などの5点です。

 この申し入れは、党市議団が発行した「市議団ニュース」(3月議会報告)に掲載した「被災者が活用できる各種制度)を見た市民から寄せられた相談などをもとに行ったものです。

 細田副市長は、「民間アパートなどへの入居支援は25日から市役所一階のホールで相談窓口を設けて対応する、すでに入居した方に対しても遡及して対応する」「市内に転入した児童制とは現在133人だ。支援も検討中」などと答えました。

 

2011年4月21日 (木)

でこぼこ市道が舗装改良・・・斉藤県議と庄子市議の連携で

 東新庄2丁目地内の市道(東新庄2丁目4号線)の舗装改良工事がこのたび行われました。昨年暮れに地域の市民から斉藤信県議に相談がありました。
 
 
さっそく斉藤信県議から庄子市議に連絡があり、庄子市議が市役所に早期に改良工事を行うよう要請し、「関係地権者との協議が整い次第、雪解けを待って工事したい」と回答を得ていました。

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写真上:傷んだ状態の市道 東新庄2丁目4号線
写真下:舗装・補修工事が行われた後

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2011年4月20日 (水)

盛岡市の「住宅リフォーム」申請受付は5月1日から

 盛岡市で今年度から実施する住宅リフォーム助成制度~盛岡商工会議所が行う「個人住宅改良支援商品券交付」へ市が全額補助する事業~の申請受付が5月1日から始まります。 それに先立って、4月7、8日の両日、施工業者向けに説明会が開催され、230人が参加しました。
 
 改めて、制度の内容を下表のとおりお知らせします。 
(表は、クリックすると大きくなります)

 詳しくは、盛岡商工会議所・同都南支所、玉山支所にお問い合わせください。

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2011年4月13日 (水)

東日本大震災1か月・・・盛岡で募集した市営住宅・雇用促進住宅は応募者が9・9倍

 4月11日は、東日本大震災から一か月。岩手飯岡駅に立って、改めて被災者へのお見舞いを述べ、募金の訴えを行いました。

P10300161  この日まで募集をしていた、被災者の方を対象にした盛岡市営住宅と盛岡市内にある雇用促進住宅への入居募集については、実に9・9倍の申し込みがあったということです。(市営住宅は5戸に対して94人、雇用促進住宅は厨川宿舎が当初13戸の募集でしたが1戸増えて14戸に対して104人、同都南宿舎は2戸に対して10戸)
 いかに、住宅への要望が強いかということが明らかになりました。

追加募集・・合計58戸~15日から22日まで

 盛岡市では、追加募集を4月15日から行うということです。うちわけは、盛岡市営住宅 28戸と雇用促進住宅渋民宿舎 30戸で、募集期間は4月22日まで。住宅への支援は引き続き大きな課題となっています。

2011年4月 8日 (金)

M7・4 余震が、被災地域を震え上がらせた

 4月7日午後11時32分。激しい揺れにたたき起こされた。 M7・4 最大震度6強(栗原市など)、盛岡でも一部で5強のはげしい地震が起きた。  (写真下:市役所都南総合支所の時計は、地震発生後の停電で止まったまま)

P10503301_2 3月11日の巨大地震の余震だということだが、M7・4は、あの阪神淡路大震災の規模を超える規模である。これでまた津波が来たら・・・家屋倒壊、その他の被害はどうか・・・・背筋が寒くなる思いだった。すぐに停電になったことから、ラジオのニュースにしばらく注意していたが、やがて津波警報も注意報も解除されたということで一安心した。

 朝、地域を回ったあと、見前小学校、見前保育園を訪問して地震の被害状況を確認。見前小学校では、当初から午前授業の予定だったがその通り授業が行われていた。


 見前保育園でも保育は行われていたが、児童は通常の4分の1ぐらいだということだった。

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 ただ見前保育園では、この前の大地震とその後の続く余震の影響か、園舎のあちこちに亀裂が走り、その亀裂が大きくなっているということであった。
  
(写真下:柱に大きく走った亀裂)
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 その後、盛岡南消防署、都南総合支所、教育委員会などまわり被害状況について聞き、市議団会議へ。盛岡市役所では、受水槽に問題が出て、トイレが使えない状況となっていた。停電の影響で4700戸が断水。このまま続けば断水が広がる危険があり、電気がいつ通るかということが大きな課題となった。
 
 停電によって、自家水道のポンプが動かず、生活水に困る家庭も生まれた。市の災害対策本部では、給水車の配車は市水道が断水となった地域になるので、その他のところでは当面、児童公園の水道などから給水してほしいとのこと。
 地元の三本柳でも、それでお困りの世帯があることから、早速宣伝カーを仕立てて「児童公園の水道が使えます」と広報して廻った。間もなく何人かの方が公園にやってきて、「助かりました」と水をくんでいった。
 はたして、何時頃までこの停電が続くのかと心配していたが、午後3時過ぎには通電して一安心。

 ニュースでは、この停電で各地の原発への影響が報道されていた。「原発の冷却装置への電源喪失」という問題は、福島原発の事故でことの重大性が広く知られるようになったものだ。

 原発事故についていえば、インターネットで、4月6日の衆議院経済産業委員会での吉井英勝議員の質問の動画を見たが、改めて「人災」をもたらした東電・政府の対応に怒りを感じた。
 

2011年4月 7日 (木)

見前小、見前中の入学式にも被災地からの児童・生徒~盛岡市内には107名が転入

 4月7日は午前中に見前小学校で、午後には見前中学校で入学式がありました。

 小学校には80人が入学し、27人から26人のクラス編成となりました。「35人学級」の効果です。「40人学級」のままであれば、ちょうど40人ずつの2クラスとなる人数でした。短時間の式でしたが、校長先生のご挨拶も、PTA会長のご挨拶も子供たちに語りかける、簡潔でも優しい語りかけでした。

 一方、午後の見前中学校では新入生184人。「35人学級」が適用されれば6クラスとなるところでしたが、5クラス編成となり1クラス36人~37人の編成となりました。6クラスとなれば30人前後となるわけですから、少し残念という思いがしました。

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 今年の入学式は、やはりこれまでとは違う特別なものです。東日本大震災で被災し転入した児童・生徒がそれぞれいました。盛岡市内の小中学校には、4月5日現在で小学校78人、中学校29人の合わせて107人となっており、さらに増える見込みだとのことです。
 被災地からの転入児童・生徒へのサポートをしっかり行いたいものです。
 
 見前中学校の、在校生の「歓迎の言葉」、新入生の「誓いの言葉」とも、この震災を前にした思いが込められたあいさつでした。復興は、そして将来の日本はこの生徒さんたちが担うことになります。しっかり学び頑張ってほしい。

 私の孫も、小学校に入学しました。

2011年4月 6日 (水)

急がれる住宅支援・・・すでに5倍近くの申し込み 罹災証明取得で自治体間協力も

 3月31日から募集が始まった被災者の方々に対する、市営住宅と雇用促進住宅への入居募集について、4月5日現在ですでに4・75倍の申し込みがあったとのことです。
 募集は、市営住宅が5戸、雇用促進住宅が15戸(厨川住宅13戸、都南住宅2戸)の合計20戸です。それに対して申し込みは、市営住宅に44人(8・8倍)、雇用促進住宅に対して51人(3・4倍)の合計95人(4・75倍)という状況となっています。

 予想されていたとはいえ、やはり住宅に対する要望の大きさを示しました。申込期間は4月11日までということです。さらに大きな倍率になるものと予想されます。

 市では、市営住宅についてはさらに、小規模な修繕を行って9戸を、雇用促進住宅については、渋民住宅については、住宅の状況を確認し、最低限の設備をして、追加募集する予定だとのことです。
 
 沿岸地域では、仮設住宅建設が必要戸数を確保するには大きなハードルがあるということが、宮古市の調査でも指摘されました。「建設場所の確保」「資材」「作業員の宿泊施設」・・・などなどがあるということでした。
 
 被災者の皆さんの「地元を離れたくない」という思いもあられるようですが、可能な限り、盛岡市も受け入れができるよう今後も努力する必要があります。

 高齢者、病気などで自ら罹災証明書発行を申請できない方々に対する支援として、盛岡市が当該自治体と連携を取って申請のお手伝いをする連携を求めていましたが、盛岡市では、沿岸各自治体と連絡をとって、申請のお手伝いをすることにしました。
 
 大船渡市の自宅が被災し、盛岡に避難してきた山下文男さんから「自分では罹災証明を取れないので・・」との相談があり、同様の方もいらっしゃるはずだとのことから、市に要請していましたが、市では当該自治体と連絡を取ってお手伝いしたい。ということです。

2011年4月 2日 (土)

被災者向け、市営住宅・雇用促進住宅への入居募集始まる。設備を整え2次募集も。

 盛岡市は、今回の東日本大震災の被災者向けに、市営住宅5戸と市内にある雇用促進住宅15戸の入居募集を3月31日から始めました。受付期間は4月11日まで。すでに10件以上の申し込みがあるとのことで、申し込みが多い場合は抽選になるとのこと。

 今回の募集は、「第一次分」だとのことで、雇用促進住宅は都南(流通センター北1丁目)の2戸と厨川の13戸。玉山区渋民の雇用促進住宅は、33戸の空きがあり最低限の設備を整えて入居可能な状態を確保し、順次追加で募集するということです。

 3月28日の市議会本会議では、渋民の雇用促進住宅については「ガスや電気の設備がない」と募集をちゅうちょしていましたが、日本共産党市議団の質疑で庄子が、「被災者への支援で緊急な問題が住宅支援だ。雇用促進住宅についても積極的な対応を」と求めていました。
 市の担当部によれば、その後市の災害対策本部では、最低限の、ガスコンロなどの設備、照明器具、暖房器具などの準備を市が行って入居できるようにすることを確認したとのことです。

 
資材などの調達に時間がかかっているということですが、急いで準備するということでした。私たちの提案・議会での質疑に応え、市も敏速に決断してくれました。

2011年4月 1日 (金)

津波の破壊力を前にして息をのむ~宮古市、田老 訪問記

 3月31日、支援物資を届けるとともに被災の実情をお聞きし、今後の救済活動で何が必要か、共産党の宮古地区委員会、宮古市議団と協議するため宮古市を訪問した。

 支援物資は、軽自動車2台の貸与・供与と燃料、盛岡市内の電気店から提供のあった電気洗濯機、衣類、その他を、4人で届けてきた。自動車も、電気洗濯機も喜ばれた。 (写真下:物資を下ろす髙橋和夫議員ら・・髙橋議員の軽トラックも貸与) P10502071
  事務所で、お話を伺った後、田老地区の被災現場を拝見してきたが、それは、それは悲惨な、深刻な状況だった。
 世界一の防潮堤、10メートルの、2重の防潮堤が町を守るはずであった。それを軽々と越え、町の人々が長年かけて築き上げてきた津波への備えを、あざ笑うかのようにすべて飲み込み、破壊しつくした光景があった。
 
2重の防潮堤の、最初の防潮堤の内側は、原野のような姿だ。瓦礫もほとんどない。そちこちに車の残骸やドラム缶などが散乱してはいるが、ここに建物があったという痕跡は、わずかに野球場のスタンドが頭を出しているだけだった。 (写真下)

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  建物などは、すべて、内側の堤防を乗り越えて、その内側に散乱しているのだ。 
(写真下)
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 北側の防潮堤は無残に破壊しつくされていた。 
(写真下)
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 岸壁も、何もかもである。 (写真下:破壊された岩壁の残骸)
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 昭和の三陸津波被害のあと長い年月と労力によって築き上げられた2重の防潮堤・・・「万里の長城」とも称される世界一の防潮堤が、皮肉にも被害を大きくしたのでは、という声も聞かれる。ラジオでは、「3メートルの大津波が来る」との情報も流れたという。それならば10メートルの防潮堤で守れると考え、逃げ遅れた人が多数いたのではないかということだ。消防団の方は、町を守るためその防潮堤の水門を閉めに行って犠牲になったという。 (写真下:この高さがあれば「まさか・・」と思っても不思議ではないかもしれない)

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 防潮堤の上で、旧田老町長(合併時:最後の町長)の野中良一さんに偶然出会った。野中さんは「これで守れるはずだった」と無念の表情をされた。そして、どのような復興の見通しを持てばいいのか・・・と案じておられた。(写真下:野中氏のお話を聞く鈴木礼子幹事長)

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 案内していただいた、宮古市議の崎尾誠さんは自動車整備工場を営んでいる。当時議会最終日の審議中。地震で急きょ本会議が閉じられ、すぐに「津波が来る」と地元に戻ったという。通称田老川の川沿いにある自宅・兼整備工場で避難を準備しようとしていた矢先に、真黒いしぶきとともに津波が押し寄せるのを見て、周りの人達に「逃げろ!!」と声をかけて間一髪助かった。家族も幸いみな無事だったという。 (写真下:一階が壊滅した埼尾自動車整備工場・・田中尚市議によれば「川沿いで見る影もないと持っていたが建物本体が残ったのか奇跡的」)
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 しかし、奥さまの実家で3人が犠牲になったということだったが、胸の詰まる思いでお聞きした。いとこは、地震直後2歳になる孫を保育所に迎えに行き、自宅に戻って90歳になる母親と一緒に避難しようとしていた矢先に津波にさらわれたという。見つかった遺体は、2歳の孫を抱いたままだったと。その保育所では職員の必死の頑張りによって残っていた子供たちは無事避難したとのことだ。何とも痛ましい限りだ。 
(写真下:様々な思いを胸に海のほうを見つめる埼尾市議)

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 その火葬が3時からあるということだから、本当に忙しい中、しかも明日には現在の避難所から異動しなければならないという崎尾市議には、本当に貴重な時間を割いていただいて恐縮した。この惨状をしっかり見てほしい、との思いを受け止めた。

 この災害から何を学び、どう復興するか。人間の力が試される。「救援・復興に国民的エネルギーを発揮して」と呼びかけた志位委員長の言葉が胸にしみる。

 改めて「救援活動に全力を!」の思いをした。

 この続きは、また後日書きたい。

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