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2011年4月 1日 (金)

津波の破壊力を前にして息をのむ~宮古市、田老 訪問記

 3月31日、支援物資を届けるとともに被災の実情をお聞きし、今後の救済活動で何が必要か、共産党の宮古地区委員会、宮古市議団と協議するため宮古市を訪問した。

 支援物資は、軽自動車2台の貸与・供与と燃料、盛岡市内の電気店から提供のあった電気洗濯機、衣類、その他を、4人で届けてきた。自動車も、電気洗濯機も喜ばれた。 (写真下:物資を下ろす髙橋和夫議員ら・・髙橋議員の軽トラックも貸与) P10502071
  事務所で、お話を伺った後、田老地区の被災現場を拝見してきたが、それは、それは悲惨な、深刻な状況だった。
 世界一の防潮堤、10メートルの、2重の防潮堤が町を守るはずであった。それを軽々と越え、町の人々が長年かけて築き上げてきた津波への備えを、あざ笑うかのようにすべて飲み込み、破壊しつくした光景があった。
 
2重の防潮堤の、最初の防潮堤の内側は、原野のような姿だ。瓦礫もほとんどない。そちこちに車の残骸やドラム缶などが散乱してはいるが、ここに建物があったという痕跡は、わずかに野球場のスタンドが頭を出しているだけだった。 (写真下)

P10502321
  建物などは、すべて、内側の堤防を乗り越えて、その内側に散乱しているのだ。 
(写真下)
P10502591_2
 北側の防潮堤は無残に破壊しつくされていた。 
(写真下)
P10502661

 岸壁も、何もかもである。 (写真下:破壊された岩壁の残骸)
P10502621_2
 昭和の三陸津波被害のあと長い年月と労力によって築き上げられた2重の防潮堤・・・「万里の長城」とも称される世界一の防潮堤が、皮肉にも被害を大きくしたのでは、という声も聞かれる。ラジオでは、「3メートルの大津波が来る」との情報も流れたという。それならば10メートルの防潮堤で守れると考え、逃げ遅れた人が多数いたのではないかということだ。消防団の方は、町を守るためその防潮堤の水門を閉めに行って犠牲になったという。 (写真下:この高さがあれば「まさか・・」と思っても不思議ではないかもしれない)

P10502541

 防潮堤の上で、旧田老町長(合併時:最後の町長)の野中良一さんに偶然出会った。野中さんは「これで守れるはずだった」と無念の表情をされた。そして、どのような復興の見通しを持てばいいのか・・・と案じておられた。(写真下:野中氏のお話を聞く鈴木礼子幹事長)

P10502481
 案内していただいた、宮古市議の崎尾誠さんは自動車整備工場を営んでいる。当時議会最終日の審議中。地震で急きょ本会議が閉じられ、すぐに「津波が来る」と地元に戻ったという。通称田老川の川沿いにある自宅・兼整備工場で避難を準備しようとしていた矢先に、真黒いしぶきとともに津波が押し寄せるのを見て、周りの人達に「逃げろ!!」と声をかけて間一髪助かった。家族も幸いみな無事だったという。 (写真下:一階が壊滅した埼尾自動車整備工場・・田中尚市議によれば「川沿いで見る影もないと持っていたが建物本体が残ったのか奇跡的」)
P10502141
 しかし、奥さまの実家で3人が犠牲になったということだったが、胸の詰まる思いでお聞きした。いとこは、地震直後2歳になる孫を保育所に迎えに行き、自宅に戻って90歳になる母親と一緒に避難しようとしていた矢先に津波にさらわれたという。見つかった遺体は、2歳の孫を抱いたままだったと。その保育所では職員の必死の頑張りによって残っていた子供たちは無事避難したとのことだ。何とも痛ましい限りだ。 
(写真下:様々な思いを胸に海のほうを見つめる埼尾市議)

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 その火葬が3時からあるということだから、本当に忙しい中、しかも明日には現在の避難所から異動しなければならないという崎尾市議には、本当に貴重な時間を割いていただいて恐縮した。この惨状をしっかり見てほしい、との思いを受け止めた。

 この災害から何を学び、どう復興するか。人間の力が試される。「救援・復興に国民的エネルギーを発揮して」と呼びかけた志位委員長の言葉が胸にしみる。

 改めて「救援活動に全力を!」の思いをした。

 この続きは、また後日書きたい。

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