フォト

駒ケ岳の花々

  • ハクサンチドリ
    2008年7月2日秋田駒ケ岳で出会った花々

野の花

  • Dscf28232
    2013年8月八幡平県民の森付近の道端に咲いていた花です
無料ブログはココログ

« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »

2011年5月

2011年5月30日 (月)

震災・原発問題から地域の課題まで・・・くらしと政治を語る集い開く

 5月29日、城東地域後援会主催の「くらしと政治を語る集い」がひられました。最初に私から盛岡における震災の被害状況と被災者支援への取組、地域から寄せられている課題解決に向けた取り組みなどを報告しました。

P10506122
 斉藤信県議は、震災直後から被災地に入って調査と支援に取り組んできた報告をリアルン紹介し、今なお避難生活を送っている方が10万人を超えているなかで、2次被害を防止する対策、復興に向けて「せめてゼロからのスタートを」という被災者や、漁業関係者などの要望にこたえた対策の必要性など、共産党の提言の内容を分かりやすく話しました。


P10506401
 また、福島原発事故が示した問題点~(1)いまの原発技術は、本質的に未完成で危険なものであること、(2)世界一、二の地震・津波国の日本に集中立地する危険 (3)安全神話によって必要な対策をとってこなかったことがもたらす深刻な結果が明らかになった・・~を指摘し、原発ゼロへの転換をめざす共産党の提言を説明しました。

 懇談では、「過去の災害からの、先人の知恵が生かされ高台に集落移転をしたところで助かっている。ここから学ぶべきではないか」「沿岸の出身だが、祖父の時代に津波の経験から高台に家を建てた。3代目になって平場の方に移転した。そのさい、『防波堤で守られている』という安心感があった。しかし今度の津波で流された。『ここから下に家を建てるな』という先人教えに学ぶ必要がある」・など沿岸のまちづくりに対する意見が出されました。
 原発問題では「自然エネルギーへの転換で、岩手は木材という自然エネルギー源が豊富だ。活用を検討すべきだ」「原発立地の自治体に、交付金というお金で財政が厳し自治体に押し付けてきたやり方が問題だ」などの意見も出されました。

 大地震の際新庄浄水場を避難所として避難した経験や、住宅リフォーム制度への質問なども出され、予定の時間を大幅に超える懇談会となりました。

海嘯(かいしょう)鎮魂の詩

 5月25日付の「盛岡タイムス」紙に、「歌う『海嘯鎮魂』」「田老の語り部の詩に曲~Jポップ海と犠牲者への思いささげる」という記事が掲載されている。その記事の写真に、詩を書いた田畑ヨシさんと曲を作ったJポップ・バンド「サスライメーカー」の3人が写っているが、その脇に、詩の書も写っている。

 29日午前、その書を書いた津志田在住の藤澤和子さんにお会いし、その詩のコピーをいただいた。
Tunamitinkonnouta  (写真はクリックすると大きくなります)

 先日訪問した際、ご夫君とお会いし、「全国から被災者への支援物資が届いている」と玄関先に積まれたたくさんの段ボール箱を見せていただいた。市内に避難し、アパートなどで生活を始めた方もいることから、その活用などについて相談しようと、今日再度訪問したのだった。

 訪問すると家にあげていただき、美味しいコーヒーをごちそうになりながら、冒頭に紹介した盛岡タイムスの記事のいきさつを話して下さった。

 そして、その写真に写っている書は自分が書いたものだということ、「サスライメーカー」との交流のいきさつや、その鎮魂歌の曲を岩手から発信し全国のものにしたいということ・・・などを話して下さり、その詩の書と曲のCDをいただいた。

 詩も、書も、曲もとても素晴らしいものだ。

 藤澤さんは、この曲を全国に広め、「12月31日の大みそか日NHKの番組に出したい」と意気込んでおられたが、そうなったらいいと思うような曲に仕上がっているのではないか。

 
 詩の作者、田畑ヨシさんは昭和8年の三陸津波を経験(今年87歳)。75年目に当たる昨年犠牲者への供養のために作った詩だという。(盛岡タイムスより)
 また
 田畑さんは、孫たちに津波を伝えるために紙芝居を作り、それを使って津波を語り継いでこられたという。

 紙芝居とこの「鎮魂の詩」が、岩手から全国に広がることを期待したいし微力ながらお手伝いもしたいと思った。

2011年5月28日 (土)

友 遠方より来る

 運動会のあと、午前中に生活相談が1件(就職問題など)あり、それを済ませて午後1時45分、花巻空港に向かいました。
 再開なったばかりの名古屋便で、愛知県在住の、オカリナの友人が、2時半に到着することから、そのお迎えに出たのです。

 友、遠方より来る・・です。ところが、この「友」とお会いするのは今日が初めてなのです。

 この方との出会いは、3週間前の5月6日、初めてメールが届いたときから始まりました。「突然のメールを お許しください。私はオカリナ愛好者で、愛知在住です・・・」と始まったメールには、故郷が宮古市であること、映像で見る変わり果てたふるさとの姿に心が張り裂けそうであり、こころからオカリナを楽しむ気になれず、毎年参加している神戸市のオカリナフェステバルへの参加に迷いがあること、岩手、宮古市でオカリナノフェティバルのような被災支援のイベントがないかと検索して、オカリナのつながりで、私のブログにたどりついたこと、・・・などが書かれていました。

 「テレビ、新聞などで故郷の情報を頼りに、訪問の時期を検討しております」とも記載してあったことから私は、「故郷においでになるのであれば、ぜひ宮古市の避難所でオカリナを演奏して『慰問』してはどうですか?必要であればお手伝いします」と返信したのでした。

 その後、故郷訪問の日程が5月28日からと決まったとのメールをいただき、宮古市の埼尾市議にお願いして、宮古市田老地区の避難所となっているグリンピア三陸みやこで、オカリナ演奏のボランティアを行う日程を調整していただきました。明日29日日曜日の午前になったのです。

 その調整のための何度かのやり取りの中で、次々に驚くような、偶然が重なりました。

 私は2年ほど前からインターネットでであった「中北音楽研究所」のオカリナ伴奏CDを使わせていただいていますが、なんと、その中北先生にオカリナの伴奏CDをお願いし、常にオリジナルで編曲していただいているということです。

 また「岩手訪問では、紫波の妹と一緒にいる母を最初に訪ねる」とのことでしたが、実は紫波ではなく盛岡市の都南地区で私のすぐ近くの方だったのです。

 さらに、私のブログをよく見たら「医療生協でオカリナ演奏とあるが、私も名古屋の生協病院の緩和ケア病棟でオカリナ演奏をしている・・・」というではありませんか。

 偶然ではありますが、遠い愛知の方がすぐ近くの方になりました。愛知に帰る途中、31日には、盛岡市内の避難所である「ふれあいランド」でも、夕方演奏していただくことにになり、私も演奏でお手伝いすることになりました。

 花巻空港には、妻と二人でで迎えましたが、オカリナをやらない妻とは「お手玉を使った高齢者向けの手遊び」の話で意気投合しました。やはり女性同士です。31日のふれあいランドでの演奏の前に、その講習をしていただくことになったのです。

 明日のグリンピアでのボランティア演奏が成功することを期待ししています。そして31日に再開することを楽しみにしています。

小雨の中、子どもたちの歓声に元気もらう

 朝、新聞赤旗日刊紙の配達。小雨が降り続き、時折少し強めの雨になるというなか、配達の途中で会った読者の方と「今日の運動会はどうなるのかね」という話になりました。
 終って帰宅すると、少し雨が強くなったり弱くなったり・・・・念のため学校に電話したところ「予定通り実施します」とのこと。そういわれてみれば、雨もずっと弱くなり、「実施は正解だな・・」などと思いながら学校に向かいました。学校に近づくにつれて子どもたちの歓声が聞こえてました。開会式が始まっていたのです。

P10505931
 校長のあいさつ、児童会長の「運動会の目当て」、選手宣誓、応援合戦と進むうちは、雨もさらに弱まり、やがて上がるのではないかと期待を持たせました。

P10506071
 競技は2年生の徒競争から始まりました。進むにつれて、雨はまた強めになってきましたが、子供たちは、小雨もなんのその、とても元気に、力いっぱい競技していました。
 
雨にも負けず、きびきびとした子供たちの姿に、こちらも元気をもらいました。

2011年5月25日 (水)

市内の避難者を訪問・支援

 5月24日と25日、盛岡医療生協が取り組んでいる被災者支援に参加しました。20日に地域訪問をしていた際、「この近くのアパートに被災者が住んでいる」という地域の方からの情報でした。

 盛岡医療生協では沿岸部の被災者だけでなく盛岡市内の避難者への支援に取り組んでいます。24日には、市内永井地区に避難している陸前高田市から避難しておられる方、釜石市からの避難しておられる方を、組合の支部役員の方と訪問、支援物資をお届けしながら要望などをお聞きしました。高齢のご夫婦の方は、仮設住宅を申し込んでいるがなかなか決まらない。今後介護のお世話を受けたい、などの要望をお聞きしました。
 また、現在「こもれびの宿」には、乳児・幼児のいる6世帯が避難していることから、医療生協の遠藤副理事長、湯沢支部の支部長さんとともに、ミルクやおむつなどをお届けし、避難者の方のお話もお聞きしてきました。

 そして今日25日には、日中の党の会議のあと、夕方に、西見前におられる方を訪問しました。大槌で被災され、家を流されたということでした。私たちの訪問を歓迎して下さり、娘さんの夫の家族も犠牲になり、建てたばかりの家も流されたこと、何も持たずに孫の上着だけをもって高台に避難したところ、教室の上履きをはいたお孫さんに会い、その上着を着せたこと、大槌の同じ集落の20人もの方が犠牲にあったこと・・などなど、つらい体験を話して下さいました。
 最初に親戚を頼って盛岡にきて、マンションに20日間暮らし、孫の学校の関係で探してここに住まいした、ということでした。本当におつらい体験をされたということがひしひしと伝わってきました。少し救いだったことは、「落ち着いて、ようやく今日、近くの美容院に行ってきた」おっしゃって少し笑みを見せられたことでした。
 

2011年5月24日 (火)

住宅リフォーム助成制度(個人住宅改良支援商品券交付事業)の枠拡大を・・・市議会各会派共同で市長に要望

 5月23日、盛岡市議会の各会派(5会派及び一人会派、無所属)が共同で谷藤市長に対して「個人住宅改良支援商品券交付事業に関する要望書」を提出し、5月2日から募集が始まって実質9日間で、募集枠の1千件に到達した同事業(住宅リフォーム助成事業・・・事業主体盛岡市商工会議所)について、補正予算を組んで枠を拡大し、早急に「第2次募集」を行うよう求めました。

 市議会の最大会派所属の熊谷喜美夫議運委員長から5月18日、「既に、共産党市議団が市長に申し入れをしたということだが、共同で市に要請できないか」と連絡をいただき、 私から「6月議会に提案する補正予算に計上するためにも、早急に各会派共同での市長への要望を行ってはどうか」と提案。要望書の文案を私が作成し、熊谷委員長が各会派に呼び掛けて同意していただき、今回の市長への要望になったものです。

 要望には各会派の幹事長が出席。共産党市議団からは鈴木礼子幹事長が出席しました。要望書を受け取った谷藤市長は「要望を重く受け取って検討する」と答えたということです。

市議会防災研究会開く・・・大規模停電、原子力災害への対応など見直しが必要

 5月23日、盛岡市議会の防災研究会が開かれ、盛岡市の「地域防災計画」について、市当局から説明を受けて質疑を交わした。
 地域防災計画では、第1章「総則」、第2章「災害予防計画」、第3章「災害応急対策」、第4章「災害復旧・復興計画」から成り立っています。
 市の地域防災計画は、今年2月に改定になったもので、3月11日の大震災、4月7日の余震は、この計画に基づく、事実上最初の災害でしたが、市の災害対策上、多くの検証すべき項目が明らかになりました。

大規模停電への対応で見直しが必要
 私はその立場から、今回の災害対応の中から、計画の上で補強や・見なおすべき点や、新たに計画に盛り込まなければならない問題点などを抽出して明らかにし、見直しを行うべきだとのべ、市の対応を聞きました。
 市総務部長は、「今回の震災では大規模停電が長時間にわたって続いたこと。その中で、水道施設においては2方向からの通電を切りかえることによって電源を確保する計画だったが、両方向停電してその計画が破たんし、広範囲にわたって断水したことなど、計画の見直しが必要だ」「備蓄した食料の補給なども必要だ」などの考えも示しました。
 今回の災害では、「避難所に行ったが閉まっていた」「すぐ近くの避難所を知らずにいた」・・などの問題が市内各地でありました。これらのことも含めて、一年後の計画の見直しをまたづに直ちに対策をとることが求められています。

原子力災害への対応も
 盛岡市の「地域防災計画」では、原子力災害・放射能汚染に対する計画はまさに「想定外」となっており、県畜産研究所における牧草からの基準を超えた放射性セシウムの検出という事態は、早急にそれへの対策を計画に盛り込むことが求められていることも明らかとなっています。

2011年5月22日 (日)

大震災のさなかに進む「改憲」への危険な動き~「9条を守れ」の声を大きくしよう

 5月21日午後、キャラホールで「都南9条会結成6周年記念講演会」が開かれ、「九条の会」事務局員の高田健さんが講演しました。

P10505761
 高田さんは、「STOP!改憲・市民ネットワーク」や「けんぽう市民フォーラム」などを結成し、憲法改悪に反対する市民運動の先頭に立ってきました。

 高田さんは、福島県のご出身で、最初に東日本大震災で多くの友人・知人が犠牲になり、福島原発の事故でおおきな被害を受けていることに触れ「社会が変わる契機だ」とのべ、①原発をどうするか・・・原発に頼ったエネルギーなしの社会は可能だということを私たちの力で構築しなければならない ②小泉内閣以来の構造改革路線が、自治体合併や公共サービスの民営化、自治体職員減らしなどをすすめてきた結果、助かる命も助けられなかった、などと、この間の政治の責任にも触れました。

大震災のさなかの「改憲運動」~その危険
 高田さんはさらに、この震災のさなかに、①参議院に憲法審査会規定が、共産党や社民党だけでなく民主党内にも異論がある中、民主・自民・公明などが強硬に採決したこと、②マスコミや、政治家が新たな「改憲論」(震災対策で「非常事態」の規定を設けよ・・・読売社説など)を打ち出していること ③民主党内の憲法調査会に改憲急進派の前原氏を就任させ、民主党を丸ごと改憲政党にし、改憲に向かって進める体制を作ったこと・・・などをあげました。

 
「トモダチ作戦」狙いは?「自衛隊の災害出動」をどう見る?
 また、この震災の中で米軍の「トモダチ作戦」や自衛隊の災害救助活動を取り上げて「在日米軍は必要」「自衛隊を憲法上認めよ」などの議論が出ていることについて、沖縄の地方紙の社説などを紹介して、そのような議論の問題点を指摘し、自衛隊についても「災害救助活動は、あくまでも『本務』ではなく『余技』だ。自衛隊を災害救助隊にして、本務にしたら世界最高の救助ができるのではないか」と述べました。

狙いは日米同盟の「双務化」・・・9条はその砦だ
 高田氏は、今災害のさなかにこのような動きが活発化している背景には、日米間で進められようとしている「日米同盟」の「双務化」の狙いがある。「集団的自衛権」の行使は憲法違反だと言わざるを得ない状況の中で、解釈の変更で進め用としており、9条をその目の敵にしている。憲法9条こそ我々の砦だ。とのべ、9条を守ろうの声を発信し続けることの重要さを述べました。
 
 6周年の集いでは、今年度も、19日の宣伝署名行動を継続することや、学習運動などの事業計画を確認しました。 

 

2011年5月21日 (土)

9日間で1000件の枠に到達・・・盛岡市の住宅リフォーム事業の申請

 盛岡市の「住宅リフォーム助成制度」(30万円以上の工事に対して、10万円分の商品券を支給する「個人住宅改良支援商品券交付事業)は、5月2日から申請受付が始まって、17日には、1000件の枠に到達してしまいました。

 この間の申請状況では、工事費総額は約8億8,400万円。8.8倍の工事額となっています。平均工事額:約89万1千円で、最も大きい工事は約1,360万円の工事となっているということです。

 工事内容の特徴:屋根に関連する改良(塗装,葺き替えなど)が約450件,関連して雨樋や雪止め等の工事(修理,新設など)が約210件,外壁の工事(塗装,張替えなど)約240件,台所・風呂・トイレの工事が約160件,ベランダや玄関周りが約50件・・・などです。

 一方工事施工業者別では、株式会社 484件,有限会社形態 291件 個人事業主と思われるもの(一人親方含む。)91件、会社形態か個人事業主か不明なもの 126件となっていますが、本社の所在地別(盛岡市に本社があるのか、市外に本社がある事業者か)については、調査を依頼しているところです。

 受付から9日間で、当初の枠(1000件)に到達してしまったということは、市民にとっても歓迎されている事業であることを示しています。また、市の補助金の8.8倍の工事総額になっており経済効果も証明されました。

 共産党市議団は、11日に市長に申し入れをしましたが補正予算を組んで枠を拡大することが求められています。



2011年5月20日 (金)

11市町村の牧草の放射性物質調査結果・・・いずれも基準値下回る

 5月18日に採取して行っていた11市町村の牧草の放射性物質の調査結果は、基準値を下回る結果となり、ひとまずホッとしたところです。

 調査結果は、放射しヨウ素はいずれも「不検出」でした。放射性セシウムについては、盛岡市 136.0 八幡平市 12.2 雫石町 72.0 岩手町 70.0 葛巻長 70.0 矢巾町 52.0 紫波町 44.0 二戸市 不検出 一戸町 180.0 軽米町 42.0 九戸村 74.0 (単位 Bq/kg )で、乳牛、肥育牛の粗飼料中の放射性物質の暫定許容値である300Bq/kg を下回ったものです。

 これによって、岩手県は滝沢村を除く11市町村に対して、牧草の利用及び放牧の見合わせの要請を解除する通知を出したということです。
 
 今回の調査で基準値を下回ったといえ、福島原発の現状では今後どのようになるか予断は許されない状況です。きめ細かな監視(測定)体制の強化と、早急な情報提供が求められています。

2011年5月18日 (水)

257.5㎞離れた滝沢村にも基準超えた放射能・・・「きめ細かな測定と正確な情報提供を」~再開した朝宣伝で訴える

 5月18日、中断していた朝宣伝を再開しました。5月5~8日の志位和夫委員長・市田忠義書記局長などの岩手、宮城、福島訪問による調査結果を踏まえて5月17日に志位委員長が管総理に対して行った復興対策への提言などを紹介するとともに、原発の問題を訴えました。

P10505531

放射能汚染は、時間と空間を超える・・・・岩手県北西の12市町村で放牧自粛要請

 5月11日に滝沢村の岩手県畜産研究所で検出された放射性セシュウムは359Bq/kg。国が定めた乳用牛及び肉用牛に対する粗飼料の暫定基準(300Bq/kg)を超え、岩手県は「岩手県北西」部の12市町村(盛岡市、八幡平市、二戸市、雫石町、葛巻町、岩手町、滝沢村、紫波町、矢巾町、軽米町、一戸町)の地域で牧草の利用及び放牧自粛を要請。

 福島原発から257・5㎞離れた滝沢村での検出ですから、報道には多くの市民が衝撃を受けました。また、農家には牧草だけでなく、他の農産物への影響に不安が広がっています。

 17日には関係市町村や関係団体に対して、今後の対応などについて説明会があり、共産党市議団は、その内容について盛岡市の農林部から説明を受けました。

 それによれば、先に民間事業者の独自調査で基準値を超えたことから、岩手県が県内を3ブロック(県北西、県北東、県南)にわけ、合わせて5か所から牧草を採取して調査したところ、県北東、及び県南では基準値を下回ったということです。基準を超えた県北西部では、18日に該当市町村で牧草を採取して調査をし、その結果によって、今後の対応が決まるということで、検査結果は20日に明らかになるとのことです。

市内2か所の牧野に影響

 盛岡市内では、玉山地区の「山谷川目牧野」(採草地約42ha・・昨年放牧牛16戸の100頭)と「高木牧野」(同 16ha 同 7戸の64頭)に影響が出ており、一部放牧開始した乳牛などを下牧させたということです。今回の調査で基準値を下回ることを祈るばかりですが、上回る可能性もあり予断を許さない状況です。

 放射能汚染は、「時間と空間を超える」ということですが、それにしてもです。岩手県内でも、福島原発により近い県南では基準値を超えず、県北西部で超えるというメカニズムはどうなっているのか・・・地域全体の放射能の分布がどうなっているのか、四国4県にも匹敵する本州一広い岩手県内で、放射能のモニタリング施設がたった一か所しかないのは問題です。3月28日の3月議会最終本会議での質疑討論でも、この事を指摘しましたが、いよいよその事の重要性が明らかになりました。朝宣伝では、そのこととともに、原発ゼロへのエネルギー政策の転換をと訴えました。
 
 


 

2011年5月17日 (火)

陸前高田市の組合員訪問

 5月13日、盛岡医療生協の被災地組合員訪問・安否確認に参加しました。見前東支部などから6人が参加し2組に分かれて午前8時に盛岡を出発。午前10時過ぎに陸前高田市に到着し、午後2時過ぎまで、私の組は10人の組合員のお宅を訪問しました。

 今回訪問した地域は、陸前高田市矢作地区で、海岸から7㎞以上離れたところからの出発でしたが、すぐそこまで津波が押し寄せた痕跡が生々しい状態で、「こんなところまで津波が来たのか」と驚かされる状態でした。


Memo0013
 訪問した10人の組合員さんのうち、ご本人とご家族にお会いできたのは9人。津波が来なかったとはいえ、それぞれの組合員さんが、つらい思いをしていました。
 83歳の一人暮らしの女性の組合員さんは、海岸沿いの親戚3軒が津波で流され、妹さんが亡くなったとのこと。医療生協・川久保病院で白内障の手術をしたこと話してくれました。魚の行商をしている方は、最近建てたばかりの娘さんの自宅が流されてしまった。幸い娘さんも孫も助かったが、孫が気仙沼高校に入学するのに、通学の足がなくなってしまい、何とか高校に頼んで、寄宿舎に入れてもらったという人も。そのお宅のすぐ側に、休耕田に植えた菜の花が見事に咲いて、ほっとさせる風景でした。


P10302431
 また、震災の影響で持病の薬を手に入れるのに苦労したというかた。また、臨時診療所まで通うのに、行きはバスだが帰りは1時間半歩いてきた、という78歳の1人暮らしの女性の方もいました。
 どちらでも、「盛岡の医療生協から、お見舞いに来ました」と、支援物資の(お米、衛生用品など)をお届けすると「よく来てくれた」と歓迎され、それぞれの思いを話して下さいました。

 訪問を終えてから、被災の激しい市役所付近に行ってきましたが、前回訪問した時から1か月経過していたにもかかわらず、また、懸命の作業にも関わらず、あまり風景は変わっていないこと、1か月前にはなかった、海水の浸水が市役所前まで来ていたことに驚きました。地盤沈下のせいなのかと思ってきました。


P1030261
 訪問の最初に、陸前高田市議の藤倉泰治さんにお会いしてきましたが、ちょうどその日、自治体問題研究所の岡田知弘理事長(京都大学教授)をお迎えして、これからの街づくりについて、研究していただくとのこと。街の復興は、本当に、困難な、長い道のりになるとつくづく思って帰ってきました。 
 

2011年5月14日 (土)

被災地の最前線でがんばる日本共産党議員団

 5月12日、日本共産党の岩手県地方議員研修会が開かれ、東日本大震災以来各地で奮闘する地方議員の交流が行われ、沿岸各地の被災地の最前線で被災者支援と復興に向けて奮闘する共産党議員団の報告を聞きました。

 交流会では、陸前高田市の大坪涼子、藤倉泰治議員、大船渡市の滝田松男、三浦正明議員、釜石市の 菊池孝、坂本良子議員、宮古市の田中尚、落合久三、崎尾誠議員、野田村の宇部武則、洋野町の久慈裕子議員が、それぞれ自らの体験と救援・復興活動に取り組んでいる様子を報告しました。

P10302241                    (報告する大坪涼子陸前高田市議)
 「家も流され、親戚も犠牲になうなど自らも被災者となったなか、避難所の責任者になって、自治会を作り、女性の力をまとめながら避難所の運営を行っている」(大坪議員)、「自らも被災し一時呆然となったが、住民から励まされ、仮設の自治会長になって世話役をしている」(三浦議員)・・・・など自らの久いという困難を乗り越えてがんばっている報告には涙を禁じ得ませんでした。

 議員研修会では、菅原県委員長、斉藤信県議などから、5月6~8日に志位委員長、市田書記局長、穀田国会対策委員長、小池政策委員長、高橋千鶴子現地対策本部長が、岩手、宮城、福島県を訪問し、自治体に第2次の救援金を届け、農漁協にも義援金を届け、懇談したことなどが報告されました。

2011年5月12日 (木)

宮古市、山田町へ支援物資を送る~再び、丸モ青果から協力をいただく

 5月12日、共産党盛岡地区委員会の災害対策本部が、宮古市と山田町に支援物資を送りました。
 山田町の山田共生作業所を運営している佐藤照彦町議の要請のなかに、本や学用品などとともに「日もちのする野菜」を送ってほしいとの要望があったことから、10日に中央卸売市場の青果卸売会社、丸モ盛岡中央青果株式会社(丸モ青果)を訪ねて相談。浅沼優治社長には、快く協力を引き受けて下さいました。

 
12日朝7時にいただきに行くと、馬鈴薯30㎏、人参20㎏、大根30㎏、キャベツ30㎏、玉ねぎ40kgを準備していただいており、吉田雄一専務がフォークリフトで軽トラックまで運んで下さいました。P10302171

P10302191
 丸モ盛岡中央青果株式会社には、避難所となっているふれあいランドへの野菜の提供もお願いして協力していただきましたが、今回の要請にも快くご協力をしていただき感謝、感謝です。

 共産党盛岡地区委員会には、野菜のほか、呼びかけに応えて、米、学用品、バイク2台、中古自動車、マスク、タオル、電気洗濯機・・・・沢山の物資が集まり、12日は3台の車で届けました。

P10302211

2011年5月11日 (水)

盛岡の「住宅リフォーム」事業好評・・・申請が10日間で677件~「補正予算を組み、枠拡大を」と申し入れ

 5月11日、共産党盛岡市議団は谷藤盛岡市長に対して、「個人住宅改良支援商品券交付事業(住宅リフォーム制度)に関する申し入れ」を行い、制度申請受付開始から短期間で当初枠に到達する勢いで申請が寄せられている中、緊急の補正予算化をして、枠を拡大することを要請しました。

Img_21741
 5月1日から盛岡商工会議所で募集が始まった、「個人住宅改良支援商品券交付事業」(住宅リフォーム事業)の交付申請が、5月10日現在で677件と、当初予定していた1,000件の7割に迫る勢いです。この間の工事発注(見積もり)の総額は6億円を超え、経済効果は約9倍となっています。

 今冬の豪雪や大震災による家屋への被害をはじめ、個人住宅リフォームの需要が多く見込まれます。このままであれば、この制度を活用したいと計画していた多くの市民が利用できなくなることが懸念されます。

 また、この間の申請状況をみますと、大手の事業者が大量に受注して申請する傾向も見られており、地元の中小零細事業者の受注に結び付かないという声も寄せられています。

 こうしたことから、共産党市議団の申し入れでは、①補正予算を組んで事業枠を拡大すること ②施行業者は、市内に本店・本社を置くか盛岡市内に住民登録をしている事業者にすること、の2点を要望しました。

 谷藤市長は、「この間の状況を見極めながら今後の対応を検討したい」と答えました。

2011年5月 3日 (火)

登米市の避難所から仙台空港へ

 仙台空港近くの会社で被災した次男が、連休前半に帰省。事情で3日には戻らなければならないことから、車をなくした息子を仙台まで送りながら、途中、郷里の登米市米山町の避難所2か所に避難している南三陸町の被災者を、登米市の市議会議員をしている兄(庄子喜一)と一緒に見舞ってきました。

P10504121
 登米市米山町の2か所に避難している方は、合わせて80人。旧善王寺小体育館の避難所の代表の方は、カキ、ホタテ、ウニなどの養殖漁業が壊滅的被害を受けたとのこと。また、妹さんの嫁ぎ先の家族が犠牲になったということでした。
 南三陸町では、高台に逃げていた方が、前からくる津波を警戒していたところ、後ろから波が来たと言うことでした。前を流れている川沿いに来る津波よりも、その高台の後ろ側のせまい澤を伝って来た津波が、より早く、より高くやってきたために多くの犠牲者が出たというお話でした。この避難所が2か所目ということでした。お疲れの様子で、様々な不便がる中、現時点で最も切実な問題が「お風呂」だとのこと。一日も早い、仮設住宅の整備が求められていることを実感してきました。

 登米市から三陸道~仙台東部道路を経由して仙台空港に向かいましたが、東部道路のすぐまで津波の被害跡が生々しく、仙台市若林区~名取市閖上地区の被災状況が車窓から見てとれる状況でした。
 今回初めて息子から、「孤立状況から助かって、5時間かけて歩いて寮に戻った」という話を聞かされましたが、改めて「大変な思いをしたんだな」という思いと、それでも、命が助かったことのありがたさを改めて思わされました。

 帰ってきて、3日の夜は自治会の4役会議。役員体制が変わる中で、今年の自主防災隊の役割分担や事業計画・防災訓練の内容などについて話し合いました。

2011年5月 2日 (月)

雨のメーデー

 5月1日、第82回メーデー。盛岡市で開かれたいわて中央集会は降りしきる雨の中開催されました。

P10503951 今年のメーデーは東日本大震災の被災地の救援・復興へ労働者、国民が団結して立ち向かおうという決意を新たにする場になりました。
 鈴木いわて労連議長のあいさつに続き、斉藤信県議が来賓を代表して連帯と激励のあいさつを行い、岩手民意連、農民連の代表がそれぞれ決意表明。釜石市から駆け付けた医療労働者のあいさつもありました。集会の後、大通りをデモ行進しました。

 デモ行進のあとの、かえりにみた岩手公園(盛岡城跡公園)の桜の花が、とても綺麗でした。

P10504071

都南芸能協会総会

 4月29日、都南芸能協会の総会で引き続き「顧問」に就任しました。都南芸能協会は、盛岡市旧都南村地域で活動する民謡や民舞・新舞踊などの各団体で結成し、毎年を実施し、昨年が28回を数えています。
 昨年の舞台では、顧問による「お楽しみコーナー」が設けられ、私も、オカリナを演奏yさせていただきました。

 総会では、東日本大震災に対して、会からいち早く義援金を拠出したことが報告され、今年29回目となるチャリティーショーを、東日本大震災への復興支援のチャリティショーとして実施することを確認しました。
 私も、福祉活動として、収益金の中から毎年福祉団体への寄付を続けてきた協会の取り組みに敬意を表しながら、仲間のきずなを深め、生活に潤いともたらす皆さんの活動を発展させ、今年のチャリティショーを盛大に開催していただくよう、激励のあいさつを行いました。

 

« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »