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2011年6月 8日 (水)

安重根 千葉十七顕彰碑を訪ねて

 6月6日朝、前日に行われた父の33回忌、母の3回忌の法事の帰り道、宮城県栗原市若柳の大林寺にある「安重根千葉十七顕彰碑」を訪ねた。大林寺は、いつも帰郷の際乗り降りする東北自動車道若柳金成インターのすぐ近くにある

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 この顕彰碑のことは、故吉岡吉典元参議院議員・日本共産党常任幹部会委員が遺作となった「『韓国併合』100年と日本」のなかで紹介している。いつか訪ねてみたいと思っていた。


日韓二人の〈心の物語〉

 大林寺の、この顕彰碑について説明文には次のように記されている。
「記念碑は明治42年(1909)ハルビン駅頭に殉じた伊藤博文公の死をめぐって交わされた日韓二人の〈心の物語〉である。時あたかも悲しい日韓併合の前年にあたる。・・・」

 〈心の物語〉一人が、伊藤博文を射殺した当時30歳の安重根 韓国義兵参謀中将である。 「死刑判決文にも『その決意、私憤にあらずといえども』とある通り、民族の独立を思う心が彼にはあった」(大林寺説明文)。

 もう一人が、千葉十七。「栗駒町猿飛来の出身で当時陸軍憲兵として旅順獄中の安重根義士を看守する役目にあり、27歳の勤勉実直なる青年であった」「死刑を目前にじゅんじゅんと説く安義士の東洋平和論と民族独立への悲願に対して千葉氏は深く心を動かされていった」(同)。

 二人はいつしか互いに敬愛の念で結ばれるようになり、死刑執行の5分前に、安が千葉に一葉の書を墨して贈った。≪殉国献身軍人本分≫ 幅36㎝、長さ135㎝。達筆の墨書であった。
千葉氏は、この書を帰国に際して郷里にひそかに持ち帰り、遺族も人目を避けて保管していた。

70年の時を経て遺墨が韓国へ~日韓友好を祈念して

 1979年、安重根生誕100周年、安処刑70周年にあたり、千葉十七氏の遺族が、この遺墨を東京韓国研究院に贈呈。現在は韓国の国宝として「安重根義士崇慕館」に収められている。この記念碑(顕彰碑)は、「日韓両国永遠の友好を祈念して」建立された。碑文は当時の宮城県知事、故山本壮一郎氏が書いている。
 表の記念碑のほか、千葉十七氏の墓の隣にも石碑がある。

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 吉岡吉典は、本の「おわりに」で「私が朝鮮問題に関心を持つに至ってから50余年になります。日本による朝鮮植民地支配のひどさを知り、調べざるをえなくなったからです。日本の朝鮮支配は日本軍国主義の崩壊で終止符を打ち、朝鮮は日本から解放されました。にもかかわらず、日本はその歴史を反省し、きれいに清算することができないでいます。反省どころか、近年それを正当化する居直りの風潮が強まっています。これは日本が克服し、乗り越えなければならない歴史的課題です」と述べている。
 
 「日韓併合」に対する「居直り」を克服し、乗り越える上で、この記念碑とそれにまつわる話は、大きな役割を果たすと思う。大林寺では、それらのことを思いながら千葉十七氏の墓に手を合わせてきた。

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コメント

菅官房長官の「安重根は犯罪者」という発言は韓国人でなくとも、あまりにも情けない行為でした。亡くなった宮城県知事山本壮一郎さんも、1981年に慰霊の文を送っています。
http://epoca21.co.jp/hotel/pdf/kanko/16.pdf

菅氏の日本政府はずっと犯罪者と言ってきたというのは、どこに言っているんだ。示せといいたい。日本であろうと、外国であろうと、国のために命をかけた人は敬われるべきです。安重根を尊敬している元軍属の方たちは多いと聞いております。教養のない、国を代表する資格のない人々の発言で、一遍に今までの苦労が泡と化しているとしか言いようがありません。

テロリスト、犯罪者以外の何物でもない。
朝鮮人どもとそれに加担する日本人は、今まで嘘をついてきた報いをしっかりと受けていただきたい。

日本人にとってはテロリスト、韓国人には英雄。おかしいのは、宮城県知事が何故安を
顕彰したのか。そんな暇はないだろうに。戦後の朝鮮人進駐軍は宮城であばれてないか。それとも、朝鮮人に支配されて、そうしたのか。なにしろ、日本人県民の世話やかずに、こんなことしてるとは。小沢は岩手か。このあたりどうなってるんだ。純日本と思って
いたのに。なに朝鮮人テロリスト顕彰してんだ。ばかじゃないか。

安重根は日本への共感が強く、併合にむしろ慎重であった伊藤博文を不服として凶行に及んだ。「売国奴」「裏切り者」と韓国民意に糾弾され、彼の末裔は国を追われアメリカにのがれています。そんな彼を、後になって韓国は、国威高揚のため反日に利用したのです。それに当時、半島の憲兵や看守の多くは、日本の軍服を着た半島人だった。半島はもともと厳しい階級社会で、「人にあらず」という身分だった階層の多くが看守や憲兵などの職につき、かつての上層階級にはげしい拷問、検問を行ったといわれています。彼らを統括する管理職として存在した日本兵の一人が千葉十七。慈愛をもって接したからこそ、ある種の心のつながりができたのであり、なぜこの点を強調しないのか。韓国が、鬼畜日本に立ち向かった雄志として安重根を反日の象徴にしてしまったのは間違いであり、残念でならない。

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