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2018年11月

2018年11月14日 (水)

市営住宅、下肢障がい者の高層階からの住み替えなぜできない~市に要望書

 市営住宅の住み替えに関する取扱いの改善について、対象を「車いす常用者」に限っている市の対応を見直すよう、盛岡市長と建設部長宛に要望書を提出しました。

10年間20回応募もかなわず

 この要望のきっかけは、岩手県難病・疾病団体連絡協議会(岩手県難病連)からの一通のFAXにありました。
 エレベータのない市営住宅の4階に住んでいる方が、病気のため下肢に障害を持ち、階段の昇り降りが困難なことから、1階への住み替えを希望したが、抽選で落選し10年間、20回も落選し続けている。『公平な取扱いだ』とのことだが、何とかならないのか・・ということでした。この方のことについては、2016年1月の岩手日報に報道されています。

「車いす常用者に限る」という盛岡市の線引き

 盛岡市営住宅条例5条で、「市長は,次の各号に掲げる理由のいずれかに該当する者については,公募を行わないで市営住宅に入居させることができる」と定め、その理由の一つとして、(7)において、「・・・既存入居者又は同居者が加齢,病気等によって日常生活に身体の機能上の制限を受ける者となったこと・・・」を定めています。

 にもかかわらず、なぜ20回も応募しつつ、抽選で当たらないから駄目だとなっているのか・・盛岡市の担当課に説明を求めたところ、この条例の取り扱いについて盛岡市は、①公募によらない住み替えが可能なのは「車いすを常用しているもの」に限っており、②それ外の方(下肢に障害があっても『車いす常用』ではない方)については、定期募集への応募を認める。ただし、抽選になった場合当選確率が高くなるよう配慮をしている、というものでした。

 条例の運用で、このようにさらに厳しい線引きをしている法的根拠は何か、いつからこのような取扱いになっているか、と説明を求めても、担当課からは明確な根拠が示されませんでした。

こんな線引きは他市にはない

 この線引きは、果たして妥当なのか・・・盛岡市議会事務局を通して、東北の主要都市のこの問題の取り扱いを調査し、それぞれの市に直接問い合わせたところ、盛岡市の対応は、少なくとも東北の県庁所在都市の中では他に例を見ない特殊なものだということがわかりました。

 他の県庁所在都市にも、盛岡市の条例第5条(7)と同じ趣旨の条文があり、その運用については盛岡市のように「車いす常用者」に限定している市は他にはありませんでした。仙台市が「下肢4級以上の障害」を規定しているほか、青森市、秋田市、山形市、福島市においては、障害級別の規定は特に設けず、「医師の診断」を基本に個別に判断するという取扱いとなっていたのです。

「公平」の名で、障害者の切実な願いに背を向ける態度

 この取り扱いによって、10年間も応募し続け落選で泣いている市民が生まれているのです。市の担当課の説明は「公平な取扱い」だということでした。
 しかし、10年にもわたって、応募し続けさせながら「落選だから仕方がない」という態度では、結果として市の対応は障がい者の切実な願いに背を向けたものであって、障がい者の人権を顧みない対応であったと言わざるを得ないものです。

せめて東北の各市並みに改善を

 要望では、こうしたことを踏まえ、このような、①東北の他の県庁所在都市にはない特殊な定めとなっている理由と根拠を、どの機関が、いつ定めたのか ②こうした取り扱いによって、10年間も願いかなわずという市民が生まれたことへの見解はどうかと、振り返りつつ、③東北の他都市の水準まで早急に改善する・・」ことを求めました。
 この要望に対しては、文書での回答を求めました。

2018年11月 6日 (火)

福島被災地視察研修ツアーに参加して ① ~「異質の災害」を目の当たりに

 11月1日~2日、盛岡医療生活協同組合が企画した「福島原発被災地研修・視察ツアー」に参加し、初めて原発事故の被災地を見学し、また、お二人(福島原発避難者訴訟団長の早川篤雄さん、浜通り医療生協前理事長 いわき訴訟団長の伊藤達也さん)のお話をお聞きしてきました。

「異質の災害」を目の当たりに
~荒れた農地、残された牛、タイムスリップした中学区体育館

★フレコンバックの山々 
 
 朝7時半に出発したバスは、東北自動車道から仙台東道路を経て常磐自動車道を南進し、やがて福島県入り。原発事故の二葉郡に近づくにつれて、シートで覆われた大量の汚染度の詰まったフレコンバックが目に入ってきました。
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 常磐道の四倉パーキングで合流し、現地のガイド役を務めていただいた浜通り医療生協の専務理事のお話では、フレコンが中から成長した植物などで破損し、汚染土のほこりなどの飛散を防ぐための覆いだということでした。
フレコンバックの汚染土は、各地域に設置された焼却施設で焼却処理を行い、減量の上放射線物質の含有8000Bq/㎏以下のものは「公共事業の盛り土などに限定して」再利用するという、バラマキをしようとしているということです。それにしても、いつまでかかるのか、果たしてその処理方法で問題がないのか、といくつかの??が付くものです。

★7年8カ月経った現実~異質な原発災害を告発する数々 
 浜通り医療生協専務理事のガイドで、原発事故後7年8カ月を経た被災地~楢葉町から、富岡町、福島第一原発立地町の大熊町、双葉町、浪江町を視察しました。
 原発事故によって避難指示が出されていた周辺の12市町村のうち、3市町では解除され、残った9町村でも「解除準備」「居住制限」「帰還困難」に分けられています。(下図 クリックすると大きくなります)
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 視察した楢葉町は「解除」、それ以外は3種類が混在しているという状況で、その制限により視察は主にバスの車窓からではありましたが、そこで見たものは、原発事故の悲惨さであり、他の自然災害や事故にはない、「異質の被害」の現実でした。

▼カウンターの警告音 バスに積まれた放射線のカウンターは、最初は「ピッ・ピッ・ピッ」となっていましたが、事故現場に近づくにつれてその間隔が短くなり、双葉町では、ほとんど間隔のない「ピピピピピ・・・」と明らかに線量が高いことを知らせていました。

▼道を挟んで「帰還困難」と「避難指示解除」 富岡町では道路一本を挟んで「解除」と「制限」に分けられている、その道路を進みました。
 右に見える「制限」地域は、農地は荒れ放題で、まさに原野化した姿が目に入りました。
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 その地区にあった「牧場」(写真下のバリケードの右後方に観る林の先)では、木々の間から野生化した何頭かの牛を見ることができました。
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 事故後そのまま放置された牛が、どのようにして生きてきたのか。牛の生命力に対する思いとともに、それを放棄せざるを得なかった農家の無念さを感じました。
 一方、左側の「除染済み」の農地。
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 畔の高さと田んぼの表面の段差が、普段見ている田んぼとは明らかに違う深さで、表土をはぎ取った姿がくっきりとみてとれました。
 「制限区域」では、各家の前にバリケードが置かれ、自宅にさえ入ることを拒否されている姿がありました。
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 しかし、解除された片方の地区にどれだけ人が戻っているのか。気配はまばら、ロープの張られた「空き家」も。
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 住む人のいなくなった家が泣いている。

▼タイムスリップした中学校体育館、家電量販店 富岡町で、バスからおりて見学したのは旧富岡第2中学校でした。
 

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 校門から入ると、ススキが生え、一見して「廃校」となったことがが分かるところです。入り口からガラス越しに見える体育館の中は「第64回卒業証書授与式」の看板が掲げられていました。
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 一時期「避難所」になった、そのままの姿をしていました。まさに「タイムスリップ」した状況でした。
 また、避難区域には様々な建物が残されていますが、ガイドのかたが「もっとも悲惨だったのではないか」と紹介したのが、家電量販店の「ケーズデンキ」の建物でした。
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 震災直前に完成し、4月のオープンを待つというときに発生した原発事故で、放棄せざるを得なかったのです。まだ真新しさを感じさせる建物が「アレッ みんなどうしたの? どうして僕を使わないの??」とでも不思議がっているかのようにさえ見えました。

 岩手・宮城の被災地においても「復興道半ば」という現状ですが、福島は、地震・津波の被害に加え、原発事故が重なり、まさに「異質」の災害となっているのです。
 今回、その現地で、被害の一端を目の当たりにして現実を知り、「フクシマを忘れるな!」「ノー モア フクシマ」の思いを強くしてきました。(つづく)

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