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2020年3月

2020年3月23日 (月)

3月議会報告 ② 議案質疑 教員の「変形労働時間制」導入避けよ

教員の「変形労働時間制度」は自治体の選択制 盛岡市教委の対応は?

 昨年12月、安倍政権は公立学校の教員に「一年単位の変形労働時間制」を導入可能とする法律を強行しました。一日8時間労働の原則を崩して、繁忙期と閑散期を設定し、繁忙期の労働時間を伸ばし、閑散期にはその分短くするということを可能にする、というものです。
 この法改正については、現場の教員の方々の働き方の現状を無視したもので、労働時間が増えて「過労死が増えるのではないか」という大きな批判・懸念が寄せられるなかで強行されたものです。
 庄子は、「この法律に基づく制度の実施は自治体による選択制となっているが、盛岡市教育委員会としてはどう対応するのか」と質問。

 豊岡教育部長は、「同制度の導入については、統計上の時間が勤務の時間を減らすだけで勤務実態はかえって悪化するのではないかといった懸念や不安もある。今後国から示される指針等を基に、真に教職員の負担の軽減につながるものかを見極めたうえで判断したい」と答えました。

小学校も中学校も増えている「時間外」~「恒常的に残業がない」という導入前提は崩れている

 庄子は、「厚労省は『恒常的な残業がないことが導入の前提』という通知を出している。市内小中学校の先生方の勤務実態は『恒常的な残業がない』という状況にあるのか、最近の調査結果はどうか」と質問。

 豊岡教育部長は、「令和元年7月の一人当たりの平均時間外勤務時間は小学校で48時間、中学校で60時間となっており、前年(平成30年)の7月の調査と比較して、小学校は4時間の増、中学校は1時間の増となっている。令和元年12月の調査では一人当たりの平均時間外勤務時間は、小学校で40時間、中学校で48時間となっており、平成30年12月の比較し、小学校は5時間の増、中学校は1時間の減となっていいる」と答え、「1年以内の変形労働時間導入については教職員の時間の実態を踏まえたうえで判断する」と答えました。

 庄子が、昨年7月の実態調査で、100時間超の時間外労働をしている教員が小学校で前年3人から10人に、中学校で同62人から65人に増えていることを示すとともに、実施のための事務手続きも膨大になることなどを含めても、この制度の導入はすべきではないのではないかと質問。

 豊岡教育部長は、「時間外の今の状況を考えると、なかなか難しいのかなと考えている。もし導入されるといても、時間外がかなり削減されている状況でないと、なかなか難しいのではないかと現時点では考えている」と答えました。

3月議会報告 ① 本会議で議案質疑 ~ 町内会・自治会へのAED設置補助を

 盛岡市議会3月定例会で、本会議での議案質疑に立ちました。議案質疑では、①市民の命を守る課題について ②都南中央第Dsc_57033 三地区の街づくりについて ③教員の働き方改革、変形労働時間制度について ④ごみ処理広域化について ⑤卸売市場業務規程の改正についてを取り上げました。順次紹介します。

AED配備へ、町内会・自治会に支援を

 庄子は、今年1月に都南地区のある自治会のお正月行事として実施した「餅つき大会」中に「あいどり」をしていて倒れ、そのままお亡くなりになった事例があったことを紹介。この自治会が、平成20年度に自主防災隊を結成し、以来、避難訓練に加え、心肺蘇生法やAEDを活用した救急救命法などの訓練を実施してきた自治会であり、当日も直ちに人工呼吸と心臓マッサージにょる心肺蘇生法を施したものの、残念ながらお亡くなりになっってしまったこと、いざというときに協力をいただく事業所が休日だったためにAEDをお借りすることができず、せっかくの訓練を生かすことができず残念な結果になり、「自治会ですぐに使えるAEDがあったら」と悔やまれる結果になったことを紹介し、自治会・町内会の活動拠点である自治公民館への補助にAEDを設置するための補助を設けられないか、と質問しました。

 伊勢谷市民部長は、自治公民館の整備補助制度で、AEDは現在のところ補助対象にしていなませんが、地域の方々が安心して地域活動を行うことに役立つAEDを加えることについて今後町内会や自治会においてどのような備品購入の要望があるか調査を行いその必要性と地域の皆様の意向を確認しながら、検討してまいります、と答えました。

 

2020年3月 5日 (木)

闘病記③~ドナルド・キーンの「石川啄木」

 手術後の傷の痛みが癒え始めて、本にも目をやった。最初に読んだのは「過労死落語を知っていますか」、ビーコン(児童福祉法改正による 子ども家庭総合支援拠点に関する論文 他)、議会と自治体2月号(都市再開発に関する諸論文、公営住宅の連帯保証人か関する議員相談室の回答 他)、しんぶん「赤旗」の切り抜き(20年度政府予算の解説など)である。

 Dsc_56681 そして挑戦したのがドナルド・キーン(角地幸男訳)の「石川啄木」である。
この本をいつ購入したかは記憶にないが、2016年9月の5刷版であるから、少なくともそれ以降である。何かの会合に行くために、大通りに出て、時間があるからと立ち寄った書店で購入したことは覚えている。読み始めたものの、途中になったまま本棚に眠っていた。

 今回入院する際に、持ち込もうかと少し思ったが荷物も多いことから、分厚いこの本は遠慮した。術後の8日、次男が見舞いに来てくれたことから、別の、仕事関係の書類とともに自宅から持ってきてもらった。
 そのような中で、11日から、この石川啄木を読み始めたが、12日の昼までに一気に読むことができた。

この本は、啄木の日記と関係者の著述などを基に、丁寧にその「一生」をたどっている。

これまで、啄木については少なからず関心と興味を抱いていたし、いくつかの本も読んだ。

石をもて 追はるるごとく ふるさとをい出しかなしみ 消ゆる時なし

啄木が、ふるさと渋民を出てからたどった函館、小樽、釧路でそれぞれ、啄木ゆかりの地を訪れたこともある(終焉の地文京区にはまだ行っていないが・・)。そして、それぞれの地で啄木について学び、感じるものがあった。
 今回のこの本では、それぞれの思いが、点から線になり、啄木の一生をたどることを通じて、より深められたように思う。

 なぜ、函館には啄木の墓があるのか、函館市立文学館の啄木コーナーがこれほどまでに充実したものなのかが、宮崎郁雨との深い、深い関係のことも含めて知ることができた。
死後焼却せよとの啄木の遺志に反して、日記(ローマ字日記を含めて)、啄木の遺稿を保存した私立函館図書館主事の岡田健蔵氏の先見の明があったことなどを知ることができた。
 今回、盛岡市と函館市の教育委員会が「友好交流に関する覚書」を締結した(2月15日に調印式)。その意味でも、この本を読むことができたことは大変タイムリーだった。

 釧路から東京に出てからの啄木については多くのことを知った。金田一京介博士とのこと、与謝野鉄幹・晶子夫妻、「明星」とのかかわり、森鴎外、北原白秋、その他の当代きっての文士との交流、ローマ字日記のことなどについて。

それにしても、啄木の「天才」ぶりは驚くばかりだ。作者も語っているが、啄木の豊かな語彙、漢字能力、語学力・知識はどのように身についたのか、記録がないということだ。26歳で亡くなるまで、函館、小樽、釧路で、そのわずかな滞在期間でありながら、その地に小さくない足跡を残し、その地に数々の記念碑が残されている。東京に出て、東京毎日新聞のエッセイ、東京朝日新聞の「朝日歌壇」の選者として等の短歌選者として名を成している。

 今回通読して、本郷新の啄木像についても思い出された。
10年前、札幌市を訪れた際に本郷新記念 札幌彫刻美術館に立ち寄ったが、そこには函館の大森浜の啄木像、釧路の港文館(啄木が働いた釧路新聞社屋の復元)の像の石膏像があった。

二つの啄木像~「物思いにふけった坐像の啄木」(函館)と「肩をいからし、腕を組み憮然とした表情をしている立像」(釧路)~について、美術館のHPでは次のように紹介している。「函館の啄木を坐像にした本郷は、肩をいからし、腕を組み憮然とした表情をしている立像をつくりたいと1964(昭和39)年頃書いています。それには、『私の中の啄木像は、こういう像(立像)をつくらないと、おしまいにならないのである』と結んでいます。本郷のもうひとつの夢は、1972(昭和47)年啄木ゆかりの釧路で実現しました」(函館の啄木像について)「22歳の啄木には、絣の着物に袴、素足に下駄履き、手に詩集を持たせ、低い石に腰をおろさせ物思いに耽ったたたずまいをしています。本郷の全ての思いが、この姿に凝縮しています」と。
本郷新が2つの像に込めた「啄木像」。そこにある啄木の苦闘と「成長」(?と言っていいのか。うまい表現がみつからない)についても、この本で深く納得することができたように思う。

18歳の時、盛岡に来て最初に買った本が、文庫本の「啄木歌集」だった。確か、東山堂書店だったと思う。歌集をめくっていて目についたのが次の歌だった。

こころよき 疲れなるかな 息もつかず 仕事をしたる後のこの疲れ 

朝日新聞時代のこの歌について、当時その背景については知る由もない。が、中学生の頃の自分記憶と重なる思いがした。秋の日曜日、級友たちがサイクリングに行く中、家の農作業(稲刈り作業)の手伝いをしたときのことだ。稲の穂先に刺激され、汗にまみれてチクチクした肌の感覚のなか、いやいや始めた作業がいつしか仕事に没頭でき、終わってみるとそのチクチクが実に爽快な思いに変わったことがあった。
ここちよき・・・の歌を読んだ時に、そのことが思い出され、共感を覚えて買い求めたのであった。高校まで、いや、その後も含めて、文学とか、詩歌などの素養皆無の自分にも、十分に共感を覚えさせたのだった。

1974年の正月にも手術・入院をした。その時に読んだのも石川啄木に関する本だったように記憶している。(碓田のぼるの『石川啄木』だったのではなかったか)。

今回の入院で、この本を読むことができたことは、とてもよかった。改めて、啄木について学んでみたい。そんな気にさせてくれた。

 

闘病記 ② 音楽三昧~ベートーヴェンから美空ひばり、宗次郎

 術後の当初は、音楽三昧を楽しんだ。傷の痛みもまだある中、ベッドの上で姿勢を保ちICレコーダーに録ためた曲を片端から聞いた。眠れない夜も、聞き続け、いつの間にかうとうとという日々だった。

 この間聞いた曲は、ベートーヴェンの 1、2、3、5、6、7交響曲とピアノソナタ集。シューベルトの8番「未完成」、ショパンの「ノクターン集」、ピアノ協奏曲1番、ドボルザークのチェロ協奏曲、グリークのペールギュント、モーツァルトの協奏交響曲、オーボエ協奏曲、ファゴット協奏曲。演奏者では、マリンスキーブラスアンサンブル、プラシシモウィーン金管合奏団、カナダブラスアンサンブル、シェイ・クーの「song bird」(二胡)、三原剛(バリトン)「日本歌曲を歌う」、山本健二「北原白秋を歌う」、N響アワーから「藤村美穂子 カルメンを歌う」、モスクワ国立合唱団CD2枚組「カチュウーシャ」「果てしなき荒野」、井上頼豊のチェロリサイタル、「フォーク大全集」(NHK)、島倉千代子50周年記念CD、加古隆の「パリは燃えている」、美空ひばりの「一本の鉛筆」他 倍賞千恵子のCD服部良一の名曲集、二階堂和美の「いのちの記憶」、宗次郎のオカリナ全集(CD10枚組)、自分が演奏・録音したCD 1、2、3(鎮魂の歌)、6 などである。

 今年生誕250年を迎えたベートーヴェンの音楽には、励ましをもらい、モーツァルト、ショパン、シェイ・クーの二胡には、痛みや不眠を癒してもらった。

 加古隆、美空ひばり、島倉千代子、服部良一、ペールギュントなどは、一昨年のCD平和コンサート(都南9条の会主催)で、演奏された曲だった。聞き直し、音楽が伝えるメッセージの大きさを再確認した。

 三原剛、山本健二のバリトンも久しぶりに聞いて、歌へのあこがれもまた強くなった。

 この機会にと、自分の録音したCD 4枚を改めて聞いてみた。宗次郎の10枚組も聞いて、今後の自分の努力すべき方向も少し確認できた。少し、気弱になっていたオカリナへの新たな意欲もわいてきた。 

 椎間板ヘルニアのおかげで、音楽三昧の時を過ごすことができた。

健康への思い~闘病記①

 2020年2月、友愛病院に入院した。健康の大切さをつくづく感じさせられとともに、闘病の傍らこれまでになかなかできないことを経験できた。その一つは 音楽三昧の時間である。そして、読み始めながら途中になっていた本を読むことができたことである。

 今回の入院は、椎間板ヘルニアの手術のためである。手術に至るまでは様々あった。昨年9月20日朝、日刊紙配達中に、いつもの腰痛(ギックリ腰か)を発症。その日は、午後から高齢者のデイサービス施設の敬老会に御呼ばれしていたため、コルセットを巻いて、友人2人とともにオカリナを演奏し、いつものことのように感じていた。

 その後、太ももの裏に軽い痺れを感じるようになり、それが痛みに代わってきた。いわゆる「坐骨神経痛」である。シップ、痛み止めの座薬で様子を見たものの、回復せず、痛みの中で10月議会を過ごした。 

 11月も、家の様々な事情が重なり、そのまま、座薬の利用で過ごしたが、12月になって症状が厳しくなった。そんな中での12月議会は10月のそれよりもさらに厳しいものであった。

 12月13日に行ったMRIの検査の結果、「椎間板ヘルニア」の診断が下ったのである。腰痛が出たときのレントゲン写真では、脊椎間がやや狭くなっていたこともあり、それが原因ではないかとの医師の見立てであったが、MRIの画像には、狭窄していた脊椎のその下の椎間板からのヘルニアがはっきりと映っていた。医師の説明では、症状と画像が示す状態が一致するという、疑いのない診断であった。

 クリニックからの紹介で12月18日に岩手医科大学内丸メディカルセンターを受診。その後3度のブロック注射治療を経て、友愛病院を紹介していただき、医大の整形外科(脊椎チーム)の先生に執刀していただいたのである。

 手術は、「非常に順調で、時間も1時間もかからず終わった」(手術室の看護師の言葉)とのこと。手術日の2月6日中は、痛みに少し苦しんだものの、7日の朝からは、一定の姿勢に保てば痛みも和らぎ、歩行器を使ってトイレにも自分で歩けるようになった。8日には、点滴や傷口から血を抜く管などすべて外れ自由の身になるなど順調に経過した。
 10日からはリハビリがはじまった。スクワットなどストレッチに加え、バイク他のマシンを使った下半身の筋トレが主なものだ。なかなかきつく、筋力の衰えを実感せざるを得ないが、今後のケア(退院後の体づくり)への意欲もわくものだ。12日からはシャワーも許され、さっぱりした。20日には抜糸、22日に退院した。

 これを機会に生活を見直し、「再発防止」というだけではなく、体力作りに真剣に取り組もうと思う。
 毎日のストレッチと下半身の筋トレ。基本的に退院後続けている。

 

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