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カテゴリー「私の思い」の記事

2011年10月23日 (日)

リンゴも涙

 昨日(22日)弘前に行ってきました。友人のお母さんがご逝去され、弔問に行ってきたのです。9時ころ発って、11時ころ弘前市につきました。弔問先は弘前市のすぐ近くの町でした。
 さすが、リンゴ生産日本一です。一面のリンゴ畑はたわわに実った赤・黄色などの実がそれは見事でした。その町の斎場は、そのリンゴ畑の真ん中にひっそりとありました。
 聞けばそのお母さん、収穫どきの忙しいことを心配し、入院したことを伏せていたというのです。だから、急な旅立ちに、ご近所のみなさんも驚いていたということでした。
 なるほど。友人も、そのお母さんあってのことかと納得した思いでした。

 火葬の読経を聞きながら目をつむると、2年前の自分の母との別れを思い出しました。何歳になっても親との別れはそれは悲しいものだと、あらためて思いをしました。

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 それにしても、見事に実ったリンゴ畑の真ん中で、友人のお母さんは旅立ったのです。
 お暇して、帰りの途中に畑にカメラをくけると、リンゴも涙をしているように見えました。
 改めてご冥福をお祈りします。           合掌
 

2011年6月 8日 (水)

安重根 千葉十七顕彰碑を訪ねて

 6月6日朝、前日に行われた父の33回忌、母の3回忌の法事の帰り道、宮城県栗原市若柳の大林寺にある「安重根千葉十七顕彰碑」を訪ねた。大林寺は、いつも帰郷の際乗り降りする東北自動車道若柳金成インターのすぐ近くにある

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 この顕彰碑のことは、故吉岡吉典元参議院議員・日本共産党常任幹部会委員が遺作となった「『韓国併合』100年と日本」のなかで紹介している。いつか訪ねてみたいと思っていた。


日韓二人の〈心の物語〉

 大林寺の、この顕彰碑について説明文には次のように記されている。
「記念碑は明治42年(1909)ハルビン駅頭に殉じた伊藤博文公の死をめぐって交わされた日韓二人の〈心の物語〉である。時あたかも悲しい日韓併合の前年にあたる。・・・」

 〈心の物語〉一人が、伊藤博文を射殺した当時30歳の安重根 韓国義兵参謀中将である。 「死刑判決文にも『その決意、私憤にあらずといえども』とある通り、民族の独立を思う心が彼にはあった」(大林寺説明文)。

 もう一人が、千葉十七。「栗駒町猿飛来の出身で当時陸軍憲兵として旅順獄中の安重根義士を看守する役目にあり、27歳の勤勉実直なる青年であった」「死刑を目前にじゅんじゅんと説く安義士の東洋平和論と民族独立への悲願に対して千葉氏は深く心を動かされていった」(同)。

 二人はいつしか互いに敬愛の念で結ばれるようになり、死刑執行の5分前に、安が千葉に一葉の書を墨して贈った。≪殉国献身軍人本分≫ 幅36㎝、長さ135㎝。達筆の墨書であった。
千葉氏は、この書を帰国に際して郷里にひそかに持ち帰り、遺族も人目を避けて保管していた。

70年の時を経て遺墨が韓国へ~日韓友好を祈念して

 1979年、安重根生誕100周年、安処刑70周年にあたり、千葉十七氏の遺族が、この遺墨を東京韓国研究院に贈呈。現在は韓国の国宝として「安重根義士崇慕館」に収められている。この記念碑(顕彰碑)は、「日韓両国永遠の友好を祈念して」建立された。碑文は当時の宮城県知事、故山本壮一郎氏が書いている。
 表の記念碑のほか、千葉十七氏の墓の隣にも石碑がある。

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 吉岡吉典は、本の「おわりに」で「私が朝鮮問題に関心を持つに至ってから50余年になります。日本による朝鮮植民地支配のひどさを知り、調べざるをえなくなったからです。日本の朝鮮支配は日本軍国主義の崩壊で終止符を打ち、朝鮮は日本から解放されました。にもかかわらず、日本はその歴史を反省し、きれいに清算することができないでいます。反省どころか、近年それを正当化する居直りの風潮が強まっています。これは日本が克服し、乗り越えなければならない歴史的課題です」と述べている。
 
 「日韓併合」に対する「居直り」を克服し、乗り越える上で、この記念碑とそれにまつわる話は、大きな役割を果たすと思う。大林寺では、それらのことを思いながら千葉十七氏の墓に手を合わせてきた。

2009年4月20日 (月)

共産党が大躍進・・登米市議会議員選挙の結果に思う

 4月19日、この日に行われた登米市議会議員選挙の選挙の開票を、実家(庄子喜一候補事務所)で見守った。この日は、町内会の総会が午後2時から5時頃まであり、それを終えてから郷里に向かい、午後8時半頃には多くの親戚や応援者が集まって開票を待っていた。

 旧町ごとの選挙区で行った前回の選挙と違って、今回は市内全域を一か所で開票することとなり、午後8時半からの開票作業で、当確が見えてきたのが午後11時頃であった。兄は6位で当選をした。

 開票の関心は、兄の結果とともに、日本共産党の3人の候補が当選できるかどうかにあった。
 
 3人全員当選!! 快挙というべき結果だ。

 
 特に、前回の選挙で惜しくも涙をのんだ工藤淳子さんは、前回票(449票)を2・7倍に伸ばし、1,223票を獲得して当選した。現職の佐藤恵喜氏、佐藤尚哉氏もそれぞれ得票を伸ばして当選。議案提案権を獲得し、議席占有率でも4.2%から10%に大きく伸ばした。歴史的な勝利と言える。

 今回の選挙で共産党の各候補は、公立病院の病床削減をすすめる「再編計画」に対して地域医療を守る政策を掲げ、子供の医療費無料化、新規就農者への所得補償などの政策を掲げてたたかった。

 特に、入院ベッドを削減された登米(とよま)病院については、国会で高橋千鶴子衆議院議員が、岩手県立病院の問題と併せて取り上げていたが、この登米(とよま)で工藤さんが、当選したことは、今回の選挙に寄せた有権者の思いを表わしている。

 私の郷里である米山病院も再編計画の対象となっているようだ。つい3か月前、亡くなった母がお世話になった入院ベッドがなくなることは考えられないことだ。議会あげて、地域医療を守る立場で頑張ってもらいたいと願わずにいられない。

 共産党の政策は、兄の選挙事務所でも話題になっていたが、有権者の心をつかんだのではないか。そして、あまりにもひどい政治のもとで、何とかしてほしいという願いが渦巻いている。市議選の結果は、そういう思いを強くさせるものだ。

 結果を確信し、午前0時頃宮城を後にして盛岡に向かう車の中では、自然に笑みが浮かび、様々な思いが込み上げてきた。
 

2009年2月11日 (水)

ろうそくの灯が消えるように・・・・母93歳で逝く

 1月27日昼ころ、妻から電話が入った。「お兄さんから電話で、お母さんが亡くなったそうです」と。午前11時43分、母庄子ていが逝った。93年の人生だった。死因となる病気はなかったのだから、いわゆる老衰ということになる。覚悟はあったが、「昨日退院したばかりではないか」「少し早かったな」・・・・いろいろな思いが交叉した。

 年明けまで普通だった母は正月に訪れた孫やひ孫たちと楽しく過ごしたあと体調を崩し、自分で食事が取れなくなり寝込んだ。その後14日に入院した時には主治医に「いい薬を使って元気にさせて下さい」とお願いしたそうだから、回復したいと願っていたのは確かだ。市議会議長(宮城県登米市)をしている兄(喜一)の改選期を4月に控え、「足手まといになってはいられない」という思いがあったようだ。

 「早く会いに来た方がいい」と、近くにいる長姉からの電話もあり、19日に見舞った。病室のベッドにいた母は、呼吸が苦しそうで意識も混濁しているように見えた。これまでとは違った母の様子に戸惑った。間もなく、母は私に「今度はお別れだね」と言った。私はしばらくの間、黙って母の手を握ることしかできず、「覚悟が必要か」との思いが頭をよぎった。
 ところが、夕ごはんが近づき、母の「食べたい」という求めで私が買ってきた、「かつおの刺身」を三切れ食べ、出されたお粥も自分でスプーンを持って全部平らげて見せてくれた。その姿を見て、先ほどの「覚悟」という思いが吹き飛んだようにも思えたが、帰途の車の中では、「あと何回会えるかな」との思いが駆け巡った。

 その後母は一所懸命、出された食事をとり少し元気を取り戻したように見えたという。本人の強い希望もあり退院したのが、26日だった。
 自宅に戻り、一晩過ごした翌日、その時は突然訪れた。朝、家族と一緒に食事をとり、話を交わし、兄を見送った。その後ケアマネージャーの訪問を受け、今後の介護について相談をしていたさなかに意識を失った。救急車で病院に運ばれたが、意識が回復することなく、そのまま息を引き取った。外出先から急きょ病院に向かった兄も、間に合わなかった。まるで、ろうそくが燃え尽きて静かに炎が消えるような最期だったと思う。

 93歳、天寿を全うしたということだろう。自分も、もうすぐ還暦を迎える年になったとはいえ、やはり母を失った寂しさは大きい。

86歳でがんの手術~「後期高齢者医療制度」の間違いを身をもって証明

  母のことでは様々な思いがあるが、86歳で胃がんの手術をしたことは忘れられない。
 2002年11月、兄から電話で「母さんが今度胃がんで手術することになった」と連絡があった。「検診で発見し、主治医との相談で自分で手術を選択し、入院・手術の日程までほぼ決めてきた」というではないか。その時私は兄に、「高齢だから手術は慎重に考えた方がいいのではないか」と話した。少し前、知人が75歳の時胃がんで手術を受け、早期癌で手術は成功したが術後の体力の回復が思わしくなく、1年もたたずに亡くなったことがあり、そのことが頭をよぎったからだ。
 兄から「本人が決めてきたことを『高齢だからやめろ』というのか」と反論を受け、前言を恥じた。

 手術は成功したが、回復までにはやはり時間がかかった。その年の12月31日、外泊が許されずたった1人で年を越す母がさびしかろうと、一晩病室で付き添いをした。二人きりで、昔話をしながら、お酒もない、紅白歌合戦もない年越しが懐かしく思い出される。

 
 普通の3~4倍とも思えるようなゆっくりした時間がかかったが、やがて食事もとれるようになり普通の生活に戻ることができた。癌の場合「5年生存率」が話題になるが、それから6年以上生き、晩年はデイサービスでの楽しい時間を過ごすことが喜びだったようだ。昨年9月の敬老会でカラオケのマイクを握り、得意の喉を披露している写真が実に若々しい。

 86歳で検診を受けてがんを発見し、それを克服して人生を全うした母の姿勢~病気に限らず、常に前向きに取り組む姿勢は子供ながら尊敬に値すると思っている。
 私は、この母のことを思うにつけ、年齢で差別し「やがて死んでゆく」とほどほどの医療で良しという考え方からつくられた後期高齢者医療制度の間違いを身をもって証明しているように思える。

 最初に兄と交わした「高齢だから手術は慎重に考えた方が・・」との言葉が恥ずかしい。高齢者の医療を年齢で差別する制度は絶対に許すことができない。

2008年3月20日 (木)

母べえを観てきました

チケットを手にしてから約2ヶ月。盛岡でロードショーが始まってから1ヵ月半。ようやく “母べえ”を観ることができた。
 新聞で、“最終上映17時半から、上映館 ルミエール2”を確認して、映画館通りに向かった。なにせここで観る映画はしばらくぶり。 余裕を持って向かったはずが、なかなか探せず、ようやくたどり着いたのは上映開始直前で、「すべりこみセーフ」。

 淡々とすぎた2時間12分だったように思う。母べえの一家は治安維持法によってその家庭の幸せを奪われた被害者だ。治安維持法といえば、小林多喜二を思い出す。75年前に逮捕され、その日のうちに拷問虐殺された。その姿を書いた手塚秀孝の本に、若いとき触れて衝撃を受けた。また山本圭が主演した「映画 小林多喜二」も観た。それに描かれていた拷問のシーンは“母べえ”にはない。泣き虫の私を号泣させるようなシーンもなかった。それでいて理不尽なあの時代のおそろしさ、怒りが深くジンジンとわいてくるのだ。
 
 
隣組の集まりで、どちらに向かって遥拝をするか(宮城に向かうか、それとも滞在中の御用邸の方角か)で真剣に議論しあうこっけいな姿、獄中の父べえに差し入れする本を借りにいった先で信頼する恩師の、「悪法といえども法は法。それを犯せば犯罪者」という驚くべき言葉。娘婿のおかげで“針の筵にさらされ、娘に離婚を迫る”元警察署長の母べえの父親。

 父べえとの生活を否定され、目前のすき焼きに手もつけずに子どもたちの手を引いて父と決別する母べえ。献身的に家族を支える山ちゃん、倒れた母べえが、医療費の心配をすると「だんなさんのことは聞いています。私からのお見舞いです」と答えた往診の医者さん。母べえとそれにつながる人々の凛とした強さと美しさが描かれている。人間の「本当の強さ」とはなにかというようなものを教えてもらったように思う。

 
この映画は、戦争が奪ったものは何かを、静かに語りかけている。人間の当たり前の暮らし・幸せを奪うあの時代に決してもどってはならないという強いメッセージを受け取ったように思う。

 
この映画で改めて感じさせられたことは、映画は「シアター」で観るべきものだな、ということだ。最初から流れた、済んだ音色のピアノ曲。母べえへの愛を詠った父べえの詩の朗読のラストシーン。そこにつながる、ピアノからオーケストラへ、そして佐藤しのぶのソプラノが重なるクライマックスが心を揺さぶった。

この映画の音楽は、富田勲が担当している。富田勲の音楽では、山田監督の「学校」を劇場で観たあとサウンドトラックのCDを買い求めた記憶がある。今回も、と思ったが残念ながら劇場にはなく、帰りに立ち寄ったCDショップにもなかった。検索したら、富田勲は、山田監督の藤澤周平の「武士の一分」などの3部作の音楽も担当しているとあった。3部作は観た記憶があるが、その音楽にはまったく印象がない。それは、劇場ではなく、テレビで観たためではないか。
 映画は「総合的な芸術」と言われる。ストーリー(脚本)があり、役者の演技があり、それを撮るカメラがあり、音楽があり、美術がある。それを丸ごと楽しむには、やはり、それなりの仕掛けが必要なのだ。少なくとも我が家のテレビでは、それは無理だということ。だから、観たはずの映画の音楽に印象が残っていないのではないか。今回そのことを再発見した。

 
盛岡は、「映画のまち」を売りにしている。その価値を大いに大切にしなければならないと強く思った。

2008年2月28日 (木)

「いつも独善的で、反対ばかり」とコメントを下さった「民主党応援団」さんへ

 私のブログに、初めてのコメントがつきました。「医療、福祉と日本の政治を考える集い」の記事に、「民主党応援団」さんから、「では具体的に共産党は何をしてくれるんですか?いつも独善的で、反対ばかり。」というコメントです。

 広辞苑(第三版)で、「独善」を調べたところ、「①自分1人だけが善くあろうと思い、また努めること ②自分だけが正しいと信じて、客観性を考えずにふるまうこと。ひとりよがり。」とありました。

党派を超えて協力共同
 日本共産党は、現在国政では「野党」の立場にありますが、地方政治では、与党の自治体もあります。岩手県内では、ご存知のことと思いますが陸前高田市では共産党の党籍をもった中里長門市長が現在2期目をつとめています。党派を超えた広範な市民のご支援の結果です。日本共産党は、立場を超えた方々と協力共同して政治をよくしようと努力している政党です。盛岡市の共産党市議団も、そういう立場でもっと努力しなければならないと考えています。

「悪いものは悪い」ときっぱり反対

 同時に、日本共産党は国民のためにならないことにはきっぱり反対してきました。創立以来今年で86年となりますが、一つの党名(党の名前を変えずに)でこられたのは日本共産党だけです。戦前、命がけで日本の侵略戦争に反対を貫いたのは政党では日本共産党だけでした。多くの犠牲をともないました。2月20日は、共産党員作家の小林多喜二が、拷問虐殺されて75年となる日でした。そのような犠牲を払いながらすじを通し、戦争反対をつらぬいた党ですから、再び日本を戦争する国に変える憲法9条の改定には断固として反対を貫いています。

 先日の、2月8日におこなった共産党の志位委員長の衆議院予算委員会での質疑はごらんになったでしょうか。50分を使って、今問題となっている派遣労働、偽装請負などの問題を追及しました。共産党のホームページや、「にこにこ動画」のサイトなどで公開されていますので、もしまだであれば一度ご覧下さい。あの中にも触れてありますが、今日派遣労働など、非正規雇用がこれほどまでに拡大するきっかけとなったのは、労働者派遣法の規制緩和を行い、製造業まで、あらゆる業種に拡大した法律改定にあります。その法律に反対したのは日本共産党でした。自民、公明、民主、社民の各党はこれに賛成してしまったのです。唯一反対した党だからこそ、労働者派遣法を「派遣労働者保護法」に抜本的改正を、と主張することが出来るのではないでしょうか。この質問後、キャノンでは、計画を前倒しして正規雇用を拡大する計画を発表しました。野党には野党として、政治を動かす役割があるのではないでしょうか。

 その前提は、良いものは良いと言い、悪いものには断固として反対するという、確固とした立場が必要ではないでしょうか。日本共産党は、そのためにも、企業、団体からの献金を受け取りません。また政党助成法による国民の税金による助成金も受け取っていません。日本の政党で、これもまた日本共産党だけです。

節度を保ちながら、堂々と議論しましょう

 議論には、節度が必要です。「客観性を考えずにふるまう」ようなことがあってはならないでしょう。そういう意味で「独善」的になってはいけないことは言うまでもありません。 
 同時に、日本の政治はいわゆる政党政治ですから、各政党が、「わが主張こそ最善ナリ」と堂々と論陣を展開し、議論することはこれまた大事なことではないでしょうか。

 私も、日本共産党の地方議員の一員として、今後一層の努力を重ね、市民の利益を守り少しでも政治を善くするために努力してまいりたいと存じます。

2008年2月26日 (火)

いのちの作法

 「いい映画を作ったものだ」・・・観終わった後の自然な感想だ。2月23日、盛岡市で開催された映画上映会は、当初の一会場2回上映の計画から、急遽、午後の部でもう一会場増やして都合3回上映し、合計1700人が観賞したとのこと。それだけ多くの人が求めていた映画であり、その期待に見事にこたえるものだった。

 映画を観て涙したことは、たびたびある。しかし、今度の、記録映画「いのちの作法」~沢内「生命行政」を受け継ぐ人たち~は、これまでとは違った種類の感動を与えてくれた。
 冒頭の、深澤晟雄村長の墓石が映されたそのシーンから、私の涙が始まった。そして、深澤晟雄村長たちが作り上げ、今日に引き継がれている沢内村の「いのちの作法」が、いかに現代にあって大事なものなのか、西和賀町の人々の今の暮らしを通して描いている。美しい風景、穏やかな人々の表情、そしてすばらしい音楽がさらに涙を誘った。
ここに描かれているテーマは、まさに「いのちの作法」であり、それは、今世界中で格差と貧困の拡大という荒廃した社会を作り出している、弱肉強食の「新自由主義」の対極に位置するものだと感じさせられた。 (いのちの作法のホームページへ)

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